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教育CSRシンポジウムに出席しました。

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東京3日目、有意義な時間を過ごしております。 さて、今日は株式会社リバネスが主催する「 教育CSRシンポジウム 」に参加してきました。もちろんインターンシップでもお世話になっているリバネスですが、去年辺りからこのシンポジウムを開催しているようです。かなり面白い話が聞けたので、掻い摘んで内容をお届けします。 このシンポジウムでは6人の講演者、報告者の方々のお話を伺うことができました。 <小原さん> 経済産業省 産業技術環境局 大学連携推進課 産業技術人材企画調整官 直前の用事で途中からの参加になってしまいましたが、お話の最後にあったのは「科学技術を取り巻く負のスパイラルを正のスパイラルに変える」ことの重要性でした。現状では、学校の授業と社会のつながりがうまくいかない→人材が育たない→産業の衰退→学校で理科を教える意義低下→・・・と負のスパイラルに陥る可能性があります。これを正のスパイラルに変えることによって、産業が活発になり雇用を生み出し、科学技術の活性化につながります。というおはなしでした。 <東畑さん> 松戸市教育委員会 生涯学習本部 学校教育担当部 指導課 指導主事 この方のお話は非常に面白かったです。何かっていうと、「企業による実験教室を受け入れた教員の意見」「キャリア教育の必要性」という、普段は聞けない教員側の立場での意見を伺うことができたことです。実験教室を終えた教員側の感想として、意外にも「子供たちが楽しむことができた」以外に「教員自身も勉強になった」という意見があったそうです。確かに、先生方の間でも教科指導についての勉強会や研修会は活発に行われているのは僕もよく聞きます。しかし、教職者以外のやり方というのは非常に新鮮である、という意味なのでしょう。また、「現場の研究社員と触れ合うことがキャリア教育につながる」ことも、非常に貴重な意見(普段は聞けないという意味で)だったと思います。 企業実施例「企業オリジナル実験教室の開発と実施」 *実際に学校で実験教室を企画することになった企業の事例を2つ取り上げていました。 <古賀さん> マルハニチロホールディングス 中央研究所 子供たちに科学の面白さ、生き物の不思議を知ってもらうだけではなく、企画側の意図として命の大切さを伝えようとした、という2方面からの目標を設定していました。これにより、長期的な支店で企業価値を

映画『ソーシャル・ネットワーク』を見て(一部ネタバレ)/I've watched "the social network".

いやあ、面白かったです。 細かいところはまた書き足していきますが、記憶の新しいうちにこの気持の盛り上がりを書き留めておきたいと思います。 <創業の面白さ> いろんなところのレビューを読んでいると、共同創業者の一人であるマークがFacebookを立ち上げ軌道に乗せるに当たって、様々な苦難を乗り越えてきた、という書き方がされているのが大半です。しかし僕は、Facebookどうこうというより、マークという一人の創業者の短い自伝のようにも見えました。 なので、ほんの僅かの資金から会社を始め、途中からベンチャーキャピタルの支援を受け、急激に成長していくところはかなり見ごたえがあると思います。見ごたえがあるということは、裏をかえせばしっかり見ていないとあっという間に映画は終わってしまうということです。 <マークの人間性> おそらく、この映画に出てくるマークという人物は、実際のマークより極端な形で描かれている気がします。なんとなくなので、根拠はないです。ただ、熱狂的なプログラマーとしての性格がかなり前面にでて(というのも、序盤の話がそのように見せているので)最後まで経営者・リーダーとしてのマークははっきり写りこんでいなかったようにも思います。映画のストーリー自体も非常に複雑で、いろいろな話が入れ替わり立ち替わり出てくるというのもあり、なかなか経営者としてのマークが現れていなかったようにも思います。しかし、ちゃんと思い返してみれば最初にザ・Facebookを立ち上げる時のマークの気持ちの高ぶりがあり、その先に広がる壮大なビジョンがFacebookをここまで大きくしたのだと思います。その点映画の中では、Facebookを大きくしたのはマークではなく他の人物である、とも見えなくもないため、ちょっと残念です。 <若い人に見てもらいたい> これはほぼノンフィクション映画です。ちょっとばかりの脚色は加えてありますが、実際に起ったことです。これまで僕が観てきた(数少ない)映画は、空想の世界か、ノンフィクションであっても過度に脚色されて涙をそそる構成になっているものがほとんどでした。しかし、今回の映画は企業を経営し成長させるときに困難、泥臭さ、人間臭さを全面に押し出しています。そいういった部分が感じ取れるのであれば、「自分ごと」としてこの映画を観ることができたのではないでしょうか。 僕を含め、こ

最近のコミュニケーションツールを整理してみる

Facebookをはじめ、最近色々なコミュニケーションツールを使っているので、整理してみようと思います。どちらかというとメモ書きに近いものなので、あしからず。 とりあえず、「コミュニケーションツール」と聞いて頭に思い浮かぶものを書き出します。 Twitter、Facebook、ブログ、Tumblr、mixi、社内SNS、Sync-U、Hootsuite、Tweetdeck、Echofon、ブクログ、togetter、twitterfeed、Cashbook、Runkeeper、foursquare、Twipla、Gmail、bit.ly、エントリーシート、携帯電話、Mac、iPhone、メモ、会話、メール、SMS、つぶやき、ダイレクトメッセージ、MSNメッセンジャー、スカイプ、Facetime、Ustream こんなもんかな。 そして、これらを分類します。 ■SNS Twitter、Facebook、mixi、社内SNS、Sync-U、ブクログ、foursquare、Ustream ■クライアントアプリ Hootsuite、Tweetdeck、Echofon、 ■サードパーティ(?)サービス togetter、twitterfeed、Twipla、bit.ly、 ■(いわゆる)メール、メッセンジャー Gmail、メール、SMS、ダイレクトメッセージ、MSNメッセンジャー、スカイプ、Facetime、 ■機材 携帯電話、Mac、iPhone、メモ、 ■ログ ブログ、Tumblr、Cashbook、Runkeeper、 ■その他 エントリーシート、会話、つぶやき では、それぞれのツールのくくりの詳細をば。 ■SNS <mixi、Facebook、Twitter> 今世間を揺るがしている、「ソーシャルメディア」。映画のタイトルにもなっていて(『ソーシャル・ネットワーク』)、この2,3ヶ月で急激に有名になったワードだと思います。2010年はTwitter元年、2011年はFacebook元年とか言われてますね。就活生の一部でも、ソーシャル・ネットワークを活用している学生がいるようです。僕自身、最初に手をつけたのはmixiですが、最近メインになっているのはFacebook。そして、補完的にTwitterを使っています。 というのも、FacebookとTwitterのような生産

最近のFacebookに対する見解-メディアで騒がれているのは間違っている??

中東地域、北アフリカでデモが勃発していますね。 チュニジアがその発端と言われていますが、どのメディアでも「Facebook」「Twitter」がデモの重要な要素として取り上げられています。僕は最近日経新聞をよく読んでいるのですが、毎日デモの記事は載っている上に、必ずFacebookかTwitterの文字を目にします。 先日のNHKスペシャルでも、「Facebookによって政権が崩壊した」ような報道がされていました。この表記に関しては僕は違和感を覚えます。正しく記述するなら、「Facebookが政権崩壊へのスピードを加速した」とか「Facebookによって民衆の怒りがさらに燃え上がった」などの書き方じゃないでしょうか。キャッチーなタイトルで、はやりの言葉を持ち上げるのもいいですが、ちょっとポイントがズレているような気がします。Facebookに詳しい方は僕と同じように違和感を感じられたのではないかと思います。 チュニジアにしろエジプトにしろ、長年独裁を続けてきた政府に対する怒りはあったはずです。しかし、一人ひとりあるいは周囲の少数の人間だけでは政権を崩壊させるほどのエネルギーにはならなかった。そこへ、FacebookやTwitterのようなITツールが登場し(すでにイラク戦争の時に情報をやり取りするツールとしてTwitterは使われていたようですが)、広い範囲で結託することが可能となったという事だと思います。 個人的には、北アフリカなどで起こっているデモは、一種のお祭りのようにも見えます。一人ひとりがもつ不満が集まることで、さらに大きくなる。お祭りでも、自分自身は盛り上がっていなくても、周りが盛り上がっていれば一緒になって盛り上がりますよね。さらにそれが相手を刺激してどんどん盛り上がる。同じことがデモでも起きているのではないでしょうか。僕自身はデモには参加したことがないので、想像の範囲での意見であることをご容赦ください。 Facebookそのものには、政権を崩壊させる力はありません。たとえ、Facebook上で政権崩壊の訴えが増えても、実際の政権には何ら影響はないと思います。影響があるのは、市民が行動に出た時です。こう書くと、「Facebookが市民をデモに駆り立てた」とも言えます。Facebookも大事ですが、やっぱり市民です。市民が動くことによって国が動いたのです

三省堂サイエンスカフェ

久しぶりに、紀伊国屋以外のサイエンスカフェに行ってきました。そして、最近思ったことを文章にすることが少ないので、文章を各トレーニングとして、感想等を書こうと思います。 本日のサイエンスカフェのゲストは、元 北海道大学理学部の准教授 若原正己先生でした。CoSTEPのみが主催している紀伊国屋のサイエンスカフェとは異なり(実際は、他の団体がメディカルカフェなどを開催していますが)、三省堂サイエンスカフェでは、様々な団体が運営を行っています。他にも、参加費が必要であったり、オープンスペースではなく、本当のカフェでやるという点で、いつもCoSTEPの受講生がお世話になっている三省堂のサイエンスカフェとは大きく異なります。個人的には、こちらのカフェの方が自分のイメージするサイエンスカフェに近いので好きです。 タイトルは「スポーツ、人種、そして遺伝子」ということで、いかにもゲノムの話をしそうなタイトルです。ざっくり概要を書くと、「黒人(特にアフリカ出身選手)は足が速いと言われるが、それはひとことに『アフリカ人』とくくるのではなく、東西に分けることによって違いが出る。それは遺伝子の違いに寄る物ではないか」「しかし、遺伝子の違いで足の速さを全て説明できる訳ではない。他の要因も関わってくるので一概に判断することはできない」「環境によって表現型が変化する場合がある」という流れでした。 お話の大きなテーマは「氏か育ちか?=遺伝子か環境か?」で、まとめでは「氏も育ちも」と結ばれていました。これまでは遺伝子が表現型(=足の速さなど)を全て決定しているという生物学的な考え方がメインでしたが、最近は周りの環境が遺伝子発現に影響していると言う、エピジェネティクスやポストゲノムのお話にまで発展していきました。 途中に質問タイムがあったので、遺伝子と表現型の関係について突っ込んだ質問をしてみたのですが、まだはっきりとしたことはわかっていなようです。。。と、今文章に起こしてみて自分がちぐはぐな質問をしていたことに気づきました。アンギオテンシン転換酵素(アンギオテンシンⅠ→Ⅱへの転換、Ⅱの方が血管の収縮作用が強い=高血圧によりなりやすい)についてのお話があり、高所登山家には転換酵素の活性が低い人が多い=アンギオテンシンⅡによって高血圧になる要素が少ない人が多い、という事でした。が、しかし、高所登山家が高血

書評『電通とリクルート』

つい最近読みました。 僕は読んでて結構衝撃だったので、 その気持ちを忘れないうちに書き留めておきます。 これ書いたら寝ます。 実は著者は博報堂OBの方です。 だからと言って、第3者的な視点であるかどうかはわかりませんが、 少なくとも客観的に2社を見ていると思います。 そもそも、タイトルは『電通とリクルート』となっており、 この2社の特性等について書いてありそうですが、実際は少し違います。 確かに、2社の成り立ちからこの本は始まります。 そして、どのように広告事業を進めて行ったのか、 全く異なる2つの企業を比較することで書き進めています。 しかし、広告が消費者の行動を作り出したのではなく、 消費者の行動の変化が広告を変えていったようです。 以前、広告を打てば商品が売れるという時代がありました。 この時代には消費者は迷うことなく示されるものをどんどんと買う時代でした。 大量消費の時代が過ぎ、市場が寡占となったバブル崩壊後、 消費者は「選択」の行動に出ました。 (もちろん、消費者だけではなく、動きの少なかった広告代理店も選択にさらされる時代です) その結果、広告は所謂「誇大広告」で消費者を引きつけるのではなく、 現実味を帯びた、「ありそうな」広告を打つようになったのです。 その一方で、一部のテレビドラマでは、 「なさそうな」非現実的な話を展開しています。 このように、一見すると「賢い」消費者になったとも思えますが、 実際は広告が作り出す「幻想」の中で生活しているのが実態です。 「この商品は自分の意志で選択した」と頭では考えていても、 無意識に広告が作り出す「自分の意志による選択」を反映しているだけです。 話は少し飛んで、就活は上手くいったが「就職」には失敗した、 という話はよく聞くところです。 情報サイトや企業が打つイメージに左右されてしまった結果です。 「自分のやりたいことはこの仕事である」と、 一見自律して判断を行ったように見えますが、 実は、周りを取り巻く「幻想」をもとに判断しただけです。 僕自身、何となくこの「幻想」には気づいていました。 そして、「自分のやりたいこと」を自律して追い求めてきたつもりでした。 でも、実際に活字として示されると、ちょっとショックですね。 ・「幻想」を無視して自分の判断を頼りにする のか、 ・「幻想」を考慮に入れて、判断をする のか。