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【レビュー】子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?

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僕は普通の人よりは本を読む法だと思っているのですが、 ニュースサイトで紹介していたり、ふとした時に目についた本を読んでいるので、 結構波があります。 最近読んだのは、 子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの? です。 これは確か、何かのニュースサイトで見たのかなあ。 子どもがいいそうな素朴な疑問「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」に対して、 著名な識者が答えています。 子どもにもわかるような言い回しで書いている章と、 新書のような文体で書いている章があるので、 親子で一冊の本を読むことができます。 内容は、どちらの章もほぼ同じことを書いています。 「答えています」とはいえ、答えを示しているわけではないです。 「私はこう思うけど、他の人は違うかもしれない」というスタンスで、 いろいろな視点で答えています。 短いのですぐに読み終わってしまうのですが、 「『なぜ』を思いつく時点で、動物ではなく、人間としての尊厳を保っている。 だから『なぜ勉強を〜』の問を出せる時点ですごい」 「勉強とはそもそも、答えのないものを考えるためだ」 そんなフレーズが頭に残っています。 またしばらくしたら読み直したいですね。 ちなみに、僕がしっくり来たのは、 「よく生きるため」 あれ、どこかで聞いたフレーズ、、、いや、そんなのはいいんですけど。 「そんなにすぐに答えがないものを考える。そのために勉強する」 考えることは、改善することであり、今までよりより良くなります。 決められたことをやるのではなく、それをどうやったらうまく出来るのか、 それを考えられるようになることが勉強である。 「自由になるために、まずは不自由を知る。それが勉強だ」 自由になりたければ、まずは自分を縛っている「不自由」を知る必要があります。 勉強の中では、敢えて不自由を知ることで、どんな仕組みで物事が動くのかを知り、 その上で、不自由を超えた自由を見つける。 そんな感じかなあと思います。

アルマゲドンを視た

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「いまさら?」って感じですが、アルマゲドンです。初めて視ました。 amazon.co.jp こんな時代だからこそ 率直な感想を言うのであれば、「今視るべき映画」です。東日本大震災から半年、アメリカ同時テロから10年、人類は未曾有の自体に直面し、なんとかその状況に立ち向かおうとしている。 特に、大震災によって引き起こされた原発事故は、人為的な問題はもちろん考えられますが、科学の限界も実感させられた出来事でした。この作品の中でも、「あんたが依頼したんだから、責任とってよ!」的なニュアンスのセリフをNASAの担当者に突きつけています。 科学が絶対的なものだと信じられている現れですが、 科学は絶対じゃないんです 。 また、宇宙空間で頻発するトラブルを、乗組員たちがなんとかして乗り越えていく姿は、さながら福島原発で起こっている状況を彷彿とさせます。 一人ひとりが自分の役目を果たして 宇宙空間の隕石に立ち向かうのは、なぜか石油堀りのプロたちです。アメリカのパニック映画っぽいですね。 彼らは自分たちの腕に自信と誇りを持って仕事を続け、隕石に対してもそれは同じです。また、NASAのメンバーも一人ひとりのこだわりを持ち、互いに激しく競り合います。しかし、結果としてそれが納得のいく結論を導きます。 プロフェッショナル同士が自分の意見をぶつけ合う。「不毛地帯」を視たときもそうだったのですが、こっちまで熱くなっちゃいます。 問題解決のために協力する 石油を掘るのは一人ではできません。また、隕石の危機から地球を救うのも一人ではできません。逆に、チームの中で一人が身勝手な行動をすれば、大きく足を引っ張ってしまうこともあります。 そして、チームとして動くことは個性を潰す事ではありません。個性がうまくかみ合ってこそ、大きな事を成し遂げる事ができるのです。 映画の本題には関係ないレビューになってしまいましたが、単純に視て思ったことは、「 科学技術・チーム・こだわり・職人・夢 、この辺りのキーワードに引っかかる人には視てほしい」「ストーリーは読めるのに、なぜかハラハラしてしまう」「石油開発の話はどの話を視ても面白い」などです。 とりあえず、たくさんのことを考えさせられました。忘れた頃にまた視たい映画です。

中等教育学校

今日、中等教育学校という学校があるのを知りました。 これまでに中高一貫と呼ばれる、中学校と高等学校が併設された形の学校は良く聞いていました。しかし、これはあくまで違う2つの学校であり、中等教育学校では学校の垣根さえも無いので、一つの学校として教育を行うことが可能なようです。 すなわち、いわゆる中高一貫では高校での指導内容を先取りすることがほとんどでしたが、あくまで先取りあり、中学校で指導する内容は中学校に過程で指導しなければなりません。 しかし中等教育学校では、中学校に相当する前期過程と高校に相当する後期過程の間で、指導内容の入れ替えができるため、より自由な指導設計が可能になります。 個人的には、中学校と高校の指導内容はかなり重複している部分や、連続して指導した方が良い部分も多くあると感じるため、中等教育学校の取り組みはかなり合理的であると、聞いた直後は思いました。 しかし、中高一貫では外部からの入学者がいるのに対し、中等教育学校では(おそらく前期過程終了後に外部の高校に進学することは可能なようですが)外部からの入学は基本的にできないので、同じ面々と6年間を過ごすことになり、社会性が養われにくいという考え方もあるようです。 ならば、他の学校と交流を持ったり、社会人と触れ合う機会を少しでも多く作れば、この問題も少しは解決されるのではないかと思います。科目の指導内容がスリム化されれば、空いた時間で社会性を身につけられるような指導を行うことも可能ではないでしょうか。

先生向けの研修会が終了しました。

今回で3回目となった先生向けの研修会。 でもこれまでとはちょっと違いました。 具体的にどういうことかと言うと、 先生向けの研修会ではあるのですが、 どうも実験教室に似た面白さがありました。 これまでは研修会の講師を務める立場だったので、 どうしても講義の内容を考える方に頭がいってしまっていたのですが、 今回はTAとしての参加でしたので、グループの先生方をどう研修会に参加させるか、 その一点のみに集中すれば良かったのです。 良かったのです、というか、いつもと違う視点で参加できた訳なんですね。 うーん、なんか難しい。 講師には講師の良さがあります。 同じようにTAにはTAの良さがあります。 両方の良さを取り入れるためには、、、 講師でありつつ、TAでもあるような視点で見れなければならない。 でも、今日一皮むけた気がします。 実験教室とは別物として考えていた研修会ですが、 もしかしたら、根底にあるもの、サイエンスを楽しむ気持ちは、 先生であっても子ども達であっても大きく違わないのかな、と。

「教師という生き方」

昨日の話ですが、 心に残った言葉があります。 「教師という生き方」 今、大学で「科学教育特論」という科目を取っているのですが、 かなり激しい授業で、受講生がそれぞれ理科教育に関する問題点を調べ上げ、 それをプレゼンして全員の前でコメントをもらってつるし上げに遭う、という、、、 いや、つるし上げは冗談ですが、 それくらいレベルの高い授業なんです。 12月2日は学会準備がありつつも、 自分の発表がありました。 テーマは「教員の自助活動による理科教育問題の解決の可能性」 つまりは、「教員研修によって教師の知識不足は解消されるのではないか?」 という、たくさんの仮定から作られるテーマでした。 その中で、補足的な話として、 教師の精神面で感じていることを挙げました。 ・自分の時間が取れない ・仕事が忙しい ・仕事量が過剰だ などなど。 そこに、現役の教員の方からコメントがありました。 「僕は『教師』というのは一つの生き方であるから、 休みが取れないとか自分の時間が確保できないって言うのは特に感じないよ。」 なるほど!と来ましたね。 そういう考え方なら教師と言う職業が成り立っているのもわかります。 その先生や、授業を担当している教員曰く、 「与えれば与えるほど返ってこないもの、教師とは一種のボランティアだ」 確かにそうかもしれないと感じました。 では、教師は何をモチベーションに教育活動を行っているのでしょうか。 ボランティア、生き方、一種の趣味的な領域で教育活動を行う訳には行きません。 いったい、教師という生き方はなんなのでしょうか。