「教師という生き方」

昨日の話ですが、
心に残った言葉があります。

「教師という生き方」



今、大学で「科学教育特論」という科目を取っているのですが、
かなり激しい授業で、受講生がそれぞれ理科教育に関する問題点を調べ上げ、
それをプレゼンして全員の前でコメントをもらってつるし上げに遭う、という、、、

いや、つるし上げは冗談ですが、
それくらいレベルの高い授業なんです。


12月2日は学会準備がありつつも、
自分の発表がありました。

テーマは「教員の自助活動による理科教育問題の解決の可能性」
つまりは、「教員研修によって教師の知識不足は解消されるのではないか?」
という、たくさんの仮定から作られるテーマでした。


その中で、補足的な話として、
教師の精神面で感じていることを挙げました。

・自分の時間が取れない
・仕事が忙しい
・仕事量が過剰だ

などなど。


そこに、現役の教員の方からコメントがありました。


「僕は『教師』というのは一つの生き方であるから、
休みが取れないとか自分の時間が確保できないって言うのは特に感じないよ。」


なるほど!と来ましたね。
そういう考え方なら教師と言う職業が成り立っているのもわかります。

その先生や、授業を担当している教員曰く、
「与えれば与えるほど返ってこないもの、教師とは一種のボランティアだ」
確かにそうかもしれないと感じました。



では、教師は何をモチベーションに教育活動を行っているのでしょうか。
ボランティア、生き方、一種の趣味的な領域で教育活動を行う訳には行きません。

いったい、教師という生き方はなんなのでしょうか。

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