2011年を振り返って
今年も残すところあと1時間となりましたが、この1年を振り返ってみようと思います。
この1年は、僕にとっては「人の死」と向き合うことが多い1年だったと思います。しかも、今年ほど死について考えることが多い年はありませんでした。その中でも特に心に残っている死を4つ書こうと思います。
まずは、忘れもしない3月11日。東日本大震災。実は次の日が僕の誕生日でした。人が生まれた日に人が死ぬ。複雑な気持ちです。当時のメディアに踊らされていた感もありますが、行方不明者数がどんどんと増えていくのを見て、一体何が起こっているのか全く理解できませんでした。
そして、今現在も、本当にあの震災があったのか実感がありません。現場を見に行ったわけではありませんし、聞く話はすべて人からの伝聞です。果たして、本当に震災はあったのでしょうか?
ただ、最近聞いた話で「あれは人が13000人死んだ出来事じゃない。一人の死が13000件あったんだ」という解釈をしている人がいると聞きました。確かビートたけしだったような。それでも実感はありませんが、人数だけでくくってしまうのは、出来事の本質を見失っている気がしました。
次に、アップルCEO、スティーブ・ジョブズの死。この2年で僕はすっかりアップルユーザーになりました。iPhoneに始まり、MacBook ProにiPad。アップル製品のおかげで僕のQOLは格段に上がったように思います。そのアップル製品を生み出し続けたジョブズ。オバマ大統領も「優秀な人材を失った」と言われていましたが、あそこまでヒット商品を生み出す人材が他にいたでしょうか?
おそらく、病床でもアップルの今後の方針を考えていたのでしょう。この先2年程度はジョブズの想像通りの世界が広がるのだと思います。しかし、そのあとはアップルも衰退するような気がします。過去に、アップルからジョブズが追放され、ジョブズが戻ってきた途端に様々な改革でヒット商品を生み出し続けたように。偉大な指揮官の不在は、兵の指揮を下げます。ポストアップルの時代には何が来るのでしょうか?
それから、僕の所属学会に多大な貢献を果たされた先生の死。個人名などは伏せますが、この分野に大きな貢献を果たされたことは間違いありません。僕は直接教えていただく機会はありませんでしたが、周りの先生方の様子や、これまでのエピソードを聞くに、様々な方面から厚い信頼を得ていたのでしょう。
最後に、僕のおじいちゃんの死。こちらも個人名などは伏せますが、やはり、とある分野で多大な貢献をされた方でした。お通夜、葬式に参列してくださった方々のお名前を拝見しても、それがどれほどの貢献だったのかわかります。亡くなってから、その人の偉大さを知るとは、世の常でしょうか。
正直言って、あまり実感がありません。周りが、おじいちゃんが死んだと言ってるからそうなのかもしれないけど、亡くなった現場に立ち会ったわけでもないし、お通夜や葬式では蝋人形のような姿で、到底本人だとは思えなかったし。。。今でも、そのうちひょっこり現れるんじゃないかと思っています。
やはり、距離の問題は大きいようです。実家に暮らしている妹弟は、どんな状況なのかわかっているのだと思いますが、僕はこの6年はほとんどが北海道で、実家のある岡山はたまに帰るぐらいの場所。おじいちゃんに会うのも年に数回。気持ちも離れてしまったのですね。
これらの死を通して思うのは、「人は生きている限り、死が訪れる」ということ。避けては通れません。そして、いつになるのかは誰も教えてくれない、誰も知らない。
そして、人の死は受け入れなければならないものである、ということ。どんなに時間がかかっても、事実であるのだから受け入れなければならない。僕も、この記事に書いたどの死も、まだ完全には受け入れられていません。
最後に、おじいちゃんの死を受けて、「自分が一生懸命取り組んだことで、人に感謝されたらいいな」と思うようになりました。目指せおじいちゃん!
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