理系大学院生とは

僕は理系大学院生です。最近学部生や、文系大学院生を見て、「理系大学院生って何だろう?」と思うところがあったので書き綴ってみます。


ちなみに、ここでは「理系大学院生=修士課程(博士課程前期)の理系大学院生」とします。博士課程(後期)とは明らかに一線を画しているので区別します。



理系大学院生は大学生から数えて6年間の学生生活を送ることになります。内訳は、学部生4年間+大学院生2年間です。理系大学院生自身としては、学部からそのまま持ち上がる形が多いため、実質6年生大学にいるような気分です。しかし、担当教員に言われるがまま実験を行っていた学部生時代とは異なり、大学院生にはそれなりのレベルが求められているように思います。

面白い事に、理系大学院生の中にいると、自分自身がコテコテの理系だという事にはなかなか気づけません。少し言い方を変えると、「理系的思考をしている事に気づけない」となるのでしょうか。



今度は逆に、理系大学院生自身の立場ではなく、外(文理学部生や、文系大学院生、社会人)から見た場合の理系大学院生を考えてみます。

理系畑に6年間埋もれていたという事で、やはりコテコテの理系というイメージが強いのでしょうか。その分、専門的な知識であったり、経験からではなく、再現性の取れるデータから客観的な判断ができることが求められていたりするように感じます。特に、大学院進学という選択肢のある学部生から見れば、研究にずっと打ち込んでいる姿を想像されるのでしょうか。



単純に、大学院生と学部生のイメージだけで考えてみると、やはり学部生は大学院生に比べて元気があるように感じます。逆に、大学院生は落ち着いていて、冷静な判断が出来るイメージがあります。これは就職活動を通してであった人を見て感じる事です。研究室にいるだけでは感じる事は出来ません。


こうやって自分自身の立場を客観視してみると、「理系大学院生ってなかなか気持ち悪い生き物だなあ(笑)」と思います。だって、これだけ一つの場所に居座って、ずっと何かしらやり続ける事は、外にいる人から見たら「飽きないのかなあ」と思われる事は必死必至です。

だけど、そこに何か追い求めたい真理があって、その証明をするために日々実験に励む。それが理系大学院生の姿なのかなと思います。

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