ニッポンの夏、節電の夏
あっちー。と母親が言う。fegta@帰省中です。やっぱ本州の夏が一番ですね。ん?今年は「節電の夏」だって?そういえばそんな話もあったなあ。
といいますのも、僕が普段生活しているのは札幌で、泊原発3号機が営業運転に入れない、と言いつつも電力は足りている模様。
さらには帰省先は中国電力の管内であり、こちらも電力は足りている。というか、関西電力に売電するために他社の火力発電所から買電しているという健闘ぶり。頭が下がります。
そんなこんなで電力には不自由ない生活を送っているのです。
一方の関西電力や東北電力、東京電力は電力が足りていない模様。「節電の夏」は続きますね。東京電力にいたっては、消費者に節電を要請する上に、余剰の電力を東北電力に送るという状況。東日本はとんでもない状況ですね。
しかし、政府は西日本地域(関西電力、中国電力、四国電力、九州電力)に対しても節電の要請をしている。さらには、僕の大学でもこの6年間で初めて節電の呼びかけがありました。
北海道でも、西日本(関西電力管内を除く)でも電力は足りているはずなのに、なぜ節電しなければならないのでしょう?節電してできた余剰の電力を他社に売電するというなら話はわかりますが、その点に関して説明がないところを見ると、売電のため、という可能性はなさそうです。
節電の必要がないのに無理矢理節電をするのはQOLを下げるという点でも、精神衛生上よくないと思います。
原因として考えられるのは「和」の心。震災直後はこの言葉が流行りましたね。震災にめげず、協力し合って生き抜いていこうとする日本人の姿が海外メディアでも報道されていたという話は記憶に新しいです。
「和」がもたらしたネガティブな面もありました。それが「自粛」。震災直後の消費経済の低迷がここにあります。当人たちとしては、被災地の人に申し訳ないと思った結果なので、悪気はなかったのですが、よい結果にはつながらなかったようです。
そして今回の「節電」。やはり「和」がもたらすところではないのでしょうか。となりの家が節電してるからうちも節電しなきゃ。みたいな。もちろん節電自体はいいことですけど、行き過ぎた節電はよい結果にはなりません。
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同じように今回の「節電」の意味に気づいている人がいる裏付けとして、うちの大学の図書館では日中クーラーを使用していることが挙げられます。(おどろくべきことに、東京の図書館でもクーラーは普通に使用されているようです。なぜなのでしょう。)
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せっかく人間が快適に生きるために生み出した技術なのですから、使える時は積極的に使っていけばいいんじゃないかと思います。
*ここに書いていることが正しいかどうかはわかりませんが、「節電の夏」の本質だと思って書いています。
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ここからは少し視点と考え方を変えたお話です。
中国電力のお知らせにはこんな一文が出ています。
今夏の電力需給については,現時点でお客さまに電気のご使用を控えていただくようお願いするような状況にはありませんが,当社を含め,日本全体のエネルギー需給を巡る状況が厳しさを増していることから,引き続き,節電,省エネルギーをお願いいたします。
ほら!電力足りてるんじゃないか!と思ったんですけど、よくよく考えたら日本が使えるエネルギー資源の観点からは、節電したほうがいいのかなと思ったり。
原子力発電所の再開が危うい今、使えるカードは「火力発電所」そのためには大量の石炭などが必要です。特に東京電力なんかそうなのかな。ちょっと前に数十年分の石炭の輸入を確保した、っていう記事があった気もしますけど。
必要なエネルギー資源が少なくなったときに、(資源、あるいは電力を)融通しあえるという形を目指すのであれば、「我慢の上での」節電も意味があるのかなと思います。
また、「節電の夏」で大変な地域を見て憐れむぐらいなら、デスティネーションキャンペーンとかやって、避暑地に人を呼び込めば、日本全体としての「節電の夏」の過ごし方は、少し良くなるんじゃないでしょうか。先日旅行に行った利尻島なんか、空気が綺麗で過ごしやすかったですよ。
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