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マイホーム構想 Part1

まだ稼いでもいないのにそんなこと考えてます。でも、理想を持つことは悪く無いと思います。 今なんとなく考えているのは、「自宅がクリエイティブな空間になったらいいな」という妄想です。そのためにはいろんな知が集合して、かつメリハリのついた空間が必要だと考えています。 具体的なものとして、次の3つの部屋を考えています。 1,図書室 知の集合と言ったら、やはり「本」だと思います。自宅に本がたくさんあるのはデザインとしても成り立ちますし、何より知識に日常的にアクセスできる空間があることは、クリエイティブな活動の源泉となるでしょう。 知識はインターネットからも得ることができますが、出版物は手に取ることができるし、オーソライズされた組織のチェックを受けているという意味で、信用できる情報です。 そんな本で埋め尽くされた「インプット」部屋がひとつ必要だと考えています。 2,会議室(作業室) クリエイティブな活動を行うのに、手足を動かす場所は必要です。自分の全身を使って表現できる場所、あるいは誰かとディスカッションできる場所が必要です。 壁がすべてホワイトボードになっていて、気づいたことはすぐに書き留めておくことができる。また、iMacも備え付けて、アナログでもデジタルでも、自分のアイデアを形にすることができる。 そんな制作物で埋め尽くされた「アウトプット」部屋がひとつ必要だと考えています。 3,音楽室 考えることを続けていると、そのうち煮詰まってきます。たまには頭の中をカラにしてリフレッシュする場所が必要です。 他の部屋からは隔絶された環境で、音楽、あるいは映画にどっぷりと浸かることが出来る部屋。臨場感あふれる設備に取り囲まれて、非日常の世界へといざなってくれる部屋。 そんな異世界で埋め尽くされる「リフレッシュ」部屋がひとつ必要だと考えています。 妄想するだけでワクワクしてきちゃう自宅ですね。いつか実現させたいなー。 ちなみに、元ネタといっては何ですがインスパイアされたのは「VOYAGE」という会社のオフィス。先日ECナビから社名変更したところですね。 こちらのブログ を見てもらうと、どんな雰囲気のオフィスなのかよく分かると思うのですが、社内のブランディングがすごいですよね!こんな家に住みたい、、、最近そんなことばかり考えてます。

僕が携帯メールが苦手な理由がわかった

今更ですが、僕は携帯メールが苦手です。なぜ苦手なのかわからないですけど、いつも携帯メールを相手にするときは、なぜか最後に変な気持ちになります。 多分それは、メールの終わりのなさにあるんだと思います。 一度始めたメールに、どこで区切りをつけたらいいのか自分でわかってないんです。返信の間隔が空くとなおさらで、最終的に消えるようにして会話が「亡くなってしまう」。いつもじゃないですけど、メールで会話するようになるとだいたいこの泥沼感を感じています。サクっと終わるメールなら全く問題はないんですけどね。 そして、短い言葉を何度かやり取りする形式だと、メールばかりに気が散ってしまって他のことに集中できず。いや、これは自分の問題か。 対してパソコンのメールやチャット、SNSなんかはすごい好きです。 だってどんなスタンスでコミュニケーションを取ればいいかはっきりしてるから。パソコンのメールなら、まとめて自分の意見を書けばいいし、チャットなら自分が今考えていることを、会話形式で書きこめばいい。SNSは一番楽で、特に返事をしなければならないことはないし、やり取りに時間が空いても全く問題ない。ゆるいつながり、大好きです。 これが、僕があまり携帯メールをしなくなった理由。そもそもにして少なかったのですが、最近急激に減ってきた理由です。 ああ、誤解されると困るので最後に書いておきますけど、「携帯メールが苦手」なだけで、携帯にメールを送らないでくれ、と言っているわけではありません。誰かから連絡をもらえるのは、電話にしろ、SNSにしろ、携帯メールにしろ、うれしいものです。 ただ単に、僕は要件だけでサクッと終わらせたいのです。

年末年始を札幌で過ごしてみて

今年は珍しく、年末年始に地元岡山に帰りませんでした。というのも、何回か帰る用事があってお金がなくなったからです泣 でも、年末年始を札幌で過ごしてわかったこともありました。 まず、 年末年始らしいことをしなければ、普通の日である。 ということ。 年末年始だからといって、何かしなければならないことはありません。普通に学校に行って実験して、パソコンに向かって。。。いつもどおりの日常です。僕なんか特に、毎日学校には来ているので、特にいつもと変わらない日々でした。ただ、年越しそばは食べましたけどね。 紅白歌合戦も聴きましたが(うちにはテレビというものが無いので、ラジオで楽しみました)あまり年末っぽいとも感じませんでした。 次に、 元日にお店は開いていない。 ということ。 昨日、食材がなかったので生協に買いに行こうと思ったのですが、 本当の年末年始の恐ろしさは元日にあり! RT @ fegta : 元日って、ここまで何も動いてないのか。。。初めて知った。とりあえず、札駅行けばなんかあるやろ。なければ今日の食事はお茶漬けになります。 — 二世さん (@m_2sei) 1月 1, 2012 いやー、ほんと元日ってお店開いてないですよね。ほんと恐怖でした。札駅のデパ地下は開いてたんだけどねー。結局セブンでおかずを買って、お茶漬けを食べることに。おせちの偉大さを知った瞬間でした。 そして、 結構暇、寂しい。 ということ。 いつもは実家に帰っておばあちゃんのうちで紅白見ながらみかんを食べて、年越しそばを食べて、年が明けるまでカウントダウンTVを見るのが毎年の過ごし方。起きたら雑煮とお節を食べて、近くの神社へ初詣。だけど今年はそれがない。 なんか虚無感感じますよね。一人で研究室で年越しだなんて、いつもの年末年始じゃない。研究室にいても、実家にいても、やっぱり暇は暇なんだけども、何か足りない。だからいつもと違うと思っちゃうんですよね。 最後に、 1年で1日だけ朝寝をしても罪悪感がない。 ということ。 基本的に朝起きれない僕ですが、元日だけはどれだけ寝ても罪悪感がありません。そして、1年で一番時間の流れがゆっくりしている日。昨日はゆっくりした時間だけでも楽しもうと思って、これまで溜めていた本を読んでいました。ジャズ聞きながら。すごい充実感でした。 と、一人で過ごす年末年始はこんな感じ...

「博報堂を辞めました」と言う人がいる中で「電通に就職する」という人がいる。その状況を見て僕が思うこと。

年始の記事、非常に複雑なタイトルですね。でも、読んで僕が思った率直な感想を書こうと思います。社会人になるに当たって考えたこと。 読んだのはこの記事です。 就活生に絶対読んでほしい10個の記事 多分、書かれいているのは僕の知り合いの知り合いに当たる方になるんだと思います。 株式会社ソーシャルリクルーティング というところで取締役をされている、斉藤さんという方のブログ記事です。 ちなみに、 Facebookページ もあります。こちらは学生はもちろん、企業の採用関係の方の間でも多数「いいね!」されているページですので、ぜひみなさんもチェックしてみてください。 さて、本題の前に、僕はこれまで自分の就職というものに関して、ネット上では一切触れてきませんでした。それは、実際に会ったことのない人に情報が伝わるとき、どのような解釈をされるのか不明だから。そして、なにか問題があったときにリスクを取ることができないと感じているから。 でも、この記事では、僕の職業観、将来について、少し触れようと思います。これはあくまで僕個人が「今」考えていることであり、明日同じ事を考えているかはわかりません。しかし、「こんな考え方もあるんだよ」というスタンスで書こうと思います。 この10(+1)個の記事 の中で、いくつか目に留まったものがあります。それは「会社を辞める」というワード。 社会人としての切符を手に入れると、次なるステップが気になるものです。この先、自分の人生にどのような選択肢がありうるのか、気になるのです。だいたいそれは、「結婚」か「転職」かのどちらかです。だから、「婚活」や「転職」という言葉には、以前より敏感に反応しているのだと思います。 目に留まったのブログ記事はこの2件です。 ・ 博報堂を辞めました ・ [日記] 同居人が「博報堂を辞めました。」と言う中で、僕が電通に就職する理由 以下、この2件を読んだものと考えて話を進めようと思います。 率直なところ、僕にベンチャー意識はあります。それは新しく会社を起こすことかもしれないし、社内ベンチャー的なのかもしれない。会社の事業の1つとして新しいビジネスを始めるのかもしれない。どんな形式になるかはわかりませんが、「新しいビジネスを生み出したい」そう思っています。 まだ正式には入社していないですが、来春僕が入社するところはベンチャー意識がある...

2011年を振り返って

今年も残すところあと1時間となりましたが、この1年を振り返ってみようと思います。 この1年は、僕にとっては「人の死」と向き合うことが多い1年だったと思います。しかも、今年ほど死について考えることが多い年はありませんでした。その中でも特に心に残っている死を4つ書こうと思います。 まずは、忘れもしない3月11日。東日本大震災。実は次の日が僕の誕生日でした。人が生まれた日に人が死ぬ。複雑な気持ちです。当時のメディアに踊らされていた感もありますが、行方不明者数がどんどんと増えていくのを見て、一体何が起こっているのか全く理解できませんでした。 そして、今現在も、本当にあの震災があったのか実感がありません。現場を見に行ったわけではありませんし、聞く話はすべて人からの伝聞です。果たして、本当に震災はあったのでしょうか? ただ、最近聞いた話で「あれは人が13000人死んだ出来事じゃない。一人の死が13000件あったんだ」という解釈をしている人がいると聞きました。確かビートたけしだったような。それでも実感はありませんが、人数だけでくくってしまうのは、出来事の本質を見失っている気がしました。 次に、アップルCEO、スティーブ・ジョブズの死。この2年で僕はすっかりアップルユーザーになりました。iPhoneに始まり、MacBook ProにiPad。アップル製品のおかげで僕のQOLは格段に上がったように思います。そのアップル製品を生み出し続けたジョブズ。オバマ大統領も「優秀な人材を失った」と言われていましたが、あそこまでヒット商品を生み出す人材が他にいたでしょうか? おそらく、病床でもアップルの今後の方針を考えていたのでしょう。この先2年程度はジョブズの想像通りの世界が広がるのだと思います。しかし、そのあとはアップルも衰退するような気がします。過去に、アップルからジョブズが追放され、ジョブズが戻ってきた途端に様々な改革でヒット商品を生み出し続けたように。偉大な指揮官の不在は、兵の指揮を下げます。ポストアップルの時代には何が来るのでしょうか? それから、僕の所属学会に多大な貢献を果たされた先生の死。個人名などは伏せますが、この分野に大きな貢献を果たされたことは間違いありません。僕は直接教えていただく機会はありませんでしたが、周りの先生方の様子や、これまでのエピソードを聞くに、様々な方面から厚...

この世界が3次元である理由がわかったらしい

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Gizmodoの記事 によれば、この世が3次元である理由がわかったらしいです。 でも、詳しいことはよくわかりません笑 (Wikipediaより) よくわからないんですが、関連動画として挙げられていた 下のニコ動を見て思ったこと、特に「科学とは?」について書こうと思います。 <p><p><p><a href="http://www.nicovideo.jp/watch/sm8018583">【ニコニコ動画】超ひも理論の世界</a></p></p></p> 科学は絶対じゃない とりあえず、研究者自身も何が正しいかわからないのです。その理由は大きく2つあると思います。 ・一つの真実も見方によっては複数の事実になる ひも理論で出てくる一般相対性理論や量子力学に限らず、すべての自然科学、社会科学においてもそうであるように、「真実は一つ。だけど、事実は必ずしも一つじゃない」のです。 日常生活の中でも、例えば裁判になると、証言が食い違うことがありますよね。研究の世界でも全く同じことが起こっていて、人によって見方が違うため、違うことが起こっているように見えるのです。 それは、場合によっては本人の都合のいい解釈でしかない場合もあります。しかし、たまたま...

ホスピタリティとは

今日までクラークシアターが開催されています。 といっても、あと2時間ほどで閉演してしまうので、 次は来年、ということになってしまうのですが。 今年は例年に増して企画が盛りだくさんで、 しかも、外部とのつながりもいくつかあるようです。 ・北大ショートフィルム製作委員会 ・北大カフェプロジェクト ・飛んでけ車いす それぞれの団体と、北大映画館プロジェクトを比べると、 いいところと思うところがあります。 その中で気づいたのが「ホスピタリティ」に対する考え方。 どこの団体が、という訳ではなく、 これはいろいろな学生に言える事だと思います。 自分たちは一生懸命企画を作っている。 だから企画の中では自分たちが一番なのか? 外部からたくさんの人を呼び込む事が目的なのか? いいえ、違います。 企画を作っているのは自分たち自身だけれども、 そして、たくさんの人が来てくれた企画を作ったのももちろん 自分たち自身だけれども。 ある団体のスタッフが、 並んでいるお客さんにコーヒーを配りだしました。 これぞ「ホスピタリティ」ですね。 運営上の都合を考えて、最適な方法を、 組み上げられた組織の中で行う。 これは最も無駄がない方法であり、一見ストレスレスな方法であります。 しかし、実際には機械的な対応になってしまったり、 お客さん自身の気持ちになればわかることも、 自分のやるべき事に集中してしまうとわからなくなってしまったり。 繰り返しになりますが、大事なのは、 ・お客さんの気持ちになって考える事 ・お客さんが来てくれるからこそ自分たちの企画が「企画たる」のだという事 ・「ホスピタリティ」=「おもてなしの心」とは何か根詰めて考える事 だと思います。 これから社会人になる学生はもちろんですが、 今一番ノリにノってる2年生に、 6年間の経験から学んだ事として、受け止めてほしいです。