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7月, 2011の投稿を表示しています

試されるまち、さっぽろ

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昨日の記事の続きです。ワールドカフェを行う中で、自分の中で札幌の位置づけが出来てきたのでまとめてみようと思います。 札幌は「試されるまち」である。 これが僕の結論です。 前回の記事でも、「カスタマイズできる」「コンパクトシティゆえに新しいものを評価しやすい」ことが、札幌の特徴として挙げられていると書きました。 さらに、学生の身分である事を考えると、札幌は「仮住まいのまち」でもあります。4年、あるいは6年間の短い時間を過ごすところ、それが札幌です。 仮住まいの身分ではありますが、その中で様々なトライアンドエラーを繰り返す事が許されれば、固定された住民はいなくとも、代謝のいいまちになり、入れ替わり立ち替わり新しい文化が芽生えるまちになるのではないのでしょうか。 こういう書き方をすると、ずっと札幌に住んでいる人にとっては、「そんな一時しか住まない若いやつはいらん!もっと長い間住んでる人の気持ちも考えてくれ!」という思いが出てくるかもしれません。 だったらそこに学生のチャレンジの場を設けてあげればいいじゃん! 具体的には、介護・福祉・地域安全の分野において、学生のアイデアとパワーを活用できるような仕組みを作れば、「仮住まい」の学生であっても、あるいは学生でなくても、「社会のためにいい事」が出来るんじゃないでしょうか。 一つでいいから、札幌でモデルケースが誕生すれば、それが全国や世界の地方都市のスタンダードとなり、「パイロットシティ」としての札幌”らしさ”を打ち出す事も可能だと思います。そう、何かに縛られる事なく、新しい発想を試す事が出来るまち、それが札幌なんじゃないでしょうか。 そのために必要なのは、、、優秀なコーディネーターですね。すごいアバウトなところに行き着いちゃいましたけど、現状ではきめ細かいマネジメントが求められているということになるんでしょうか。非常に大きな課題ですが、次の10年を生きるには、解決されなければならない課題だと思います。

さっぽろ1000人ワールドカフェに参加してきました #sap_wcf

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札幌市が?ワールドカフェ?みたいなかんじで、100%興味本位で参加しました。その報告と感想を書き綴りたいと思います。 本日13時から16時半まで、ロイトン札幌にて「さっぽろ1000人ワールドカフェ」に参加しました。今日の記事で書く内容は以下の通りです。 ・僕がなぜ参加したか ・企画の趣旨について ・企画の運営について ・ワールドカフェの中で出た「名案」について ・上記についての評価 ではまず、 僕がなぜ参加したか です。 僕は学生団対活動に関わる中で、「ファシリテーション」に興味を持つようになりました。ファシリテーションという言葉はあまりなじみがない人も多いと思うので言い換えると、「どうやったら話し合いを上手く進める事が出来るか」ということです。(実はちょっと違いますけど、この言葉が一番わかりやすいと思います) 実際に北大映画館プロジェクトでは、組織内で生じた問題の解決方法を(メンバー自ら導きだすために)ワールドカフェの形式を用いて、導きだしました。 ちなみにそのときに参考にしたのが「 決めない会議―たったこれだけで、創造的な場になる10の法則 /香取一昭」です。 内容はさておき、学生団体の場でワールドカフェを実践する事があったのです。 しかし、学生が企画する物で出来る範囲は決まっています。特にワールドカフェとなると幅広い層の人々に対してどのようにアプローチを取るか、非常に難しいので、学生主導だと100人が限度かなと言ったところです。 今回は「1000人」でワールドカフェをするという事だったので、どのように運営するのだろうかと思い、参加してみました。また、個人的にまちづくりには興味があったので、ワールドカフェを用いたまちづくりを見てみようとも思いました。 つぎに、 企画の趣旨について です。 現在札幌市は平成25年からの10年間を計画期間として 「札幌市まちづくり戦略ビジョン」の策定 に取り組んでいます。急速な時代変化に対応するため、将来を見据えた、しかも地に足の着いた議論が必要です。そのため、市民を巻き込んでビジョンの策定に取り組もうとしています。 資料によりますと、ビジョン策定にあたっては「市民と共有できるビジョン」「『選択と集中』のための重点戦略」が大きな視点として挙げられています。 その中で、市民参加事業の一つとして今回の「さっぽろ1000人ワールドカフェ」

暑い(そんなわけない)、節電の夏

7月に入って、「節電の夏」が始まりました。始まりましたと言っても、今のところ北海道はほとんど関係ないんですけどね。そもそもにして北海道の夏は扇風機で乗り切れるのです! 節電によって空調設備や交通機関の一部規制がかかっているため、一般的な家庭には大きく2つの影響が出ていると考えられます。その影響と消費市場の変化を考えてみます。 1つは「室温(体感温度)の上昇」です。 電力会社などからの節電の要請を受けて、一般家庭でも冷房設備を始めとして電化製品の使用頻度を下げているようです。 ここで売れてくるのが扇風機です。クーラーほどは効果はないですが、少ない電力で空気を循環させ、少しでも冷涼感を得ようと、扇風機を購入する過程が多くあるようです。また、 http://allabout.co.jp/gm/gc/185453/ 今日の日経新聞に掲載されていた「シャワー用入浴剤」はユニークです。 普通にシャワーを浴びた後、この入浴剤を体に塗って、もう一度シャワーを浴びると爽快感がえられるという物です。確かに、水道代やガス代の節約のためシャワーを浴びる人は多いですが、お湯を浴びて火照ってしまいます。うまいところをついていますね。バスクリンや花王から発売されているようです。 http://www.bathclin.co.jp/news/2011/0308.htm http://www.kao.com/jp/bubshower/ また、室温を上げる調理は避けられる傾向にあるようです。特に揚げ物。この点を新たな市場にしたのがコンビニです。コンビニで唐揚げやハンバーグなどのホットフーズを調理して提供しています。普段は一人暮らしの学生や、宅飲みのつまみなどに買われていた総菜ですが、一般家庭用に対しても売り出そうとしてます。 http://www.j-cast.com/2011/07/11100736.html?p=2 2つ目は「外出機会の減少」です。 電力不足と放射線を気にする事から、家庭内でできることに焦点が当たっているようです。例えばボードゲーム。 人生ゲームやモノポリーなどの、大人数で遊べるボードゲームの売り上げが伸びているようです。正確な数字は忘れましたが、前年比2〜3倍の売り上げだったように記憶しています。 http://moneyzine.jp/article/detail/197505

Cheerzを使ってみた。

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「今」一緒にホームページを見ている人とやりとりできる「Cheerz」を始めてみました。@enochanがやってたので、ついでにやり始めてみたのですが、まだよくわかっていません。 とりあえず、登録画面はこんな感じ。 ログイン画面はなく、新規会員登録の表示があるだけです。 ログインはtwitterやfacebookのアカウント経由で行えるのでらくちんです。最後に、ブラウザにアドオンの追加を求められるのでお忘れなく。これがないと画面下に見られるアイコンが表示されないのだと思います。 アカウントを作ってアドオンを入れたら、適当なページを開きます。すると、、、 こんな風に画面下にメニューアイコンと、掲示板(↑と↓の数が書かれたもの)が表示されます。表示されない場合はしばらく待ってると表示されます。 おそらく、既にCheerzのアイコンを持っている人が当該のページを見ている場合、このようなアイコンが出てくるのですが、そうでない場合はしばらく待って、サーバー側で設定が亢進されるのを待たないと行けないのだと思います。 アイコンが出てきたらつぶやいてみます。 つぶやきは、同時に同じサイトを見ている人に通知されるみたいです。 次に、掲示板的な何かを使ってみます。 書き込んで、「Cheerする」か「Zreechする」か選んでつぶやくようです。このつぶやきはページに残るため、後日ページを訪れた人にもわかるようになっています。twitterやfacebookのチェックを入れれば、連携して投稿がなされるようです。 これ、どんなページでもコメントできるようです。 現に、このブログの編集ページにも表示されています。 今のところ、これ以上の使い方はわからないのですが、報告まで。新しく使えそうな機能が見つかれば追記します。

「言葉に出して言う」こと

人によっては「そんなの言わなくたってわかるじゃん」あるいは「言わない方がいいじゃん」っていう人もいます。でも、そういうことでも僕は「言葉に出して言う」タイプです。 だけど、そんな自分の態度は「ただの自己満じゃん」って、やっとのことで気づきました。 上にも書いた通り、僕は「言葉に出して言」わないと済まないタイプです。自分の中でもやもやしてる事を言葉に出す事ではっきりさせて、周りの反応を確認して確信を得る。そうしないと、自分の考えている事を固める事が出来ないんです。 このブログも同じような物です。自分の中で考えている事を文字に起こす事で、考えを客観的に見ると同時に、他人からのフィードバックを期待する。そうすることで、自分の考えがしっかりした物になると思っています。 ですが、世の中には「言わなくてもいい事」があります。TPOを考えて言わなくていいことではなく、「そんなの言わなくていいじゃん」っていうぐらいの、「文脈を読めばわかるので、改めて言う必要のない事」を差します。でも、僕は言っちゃうんです。言わなきゃ済まないんです。っていうと完全に自己満ですね。 だけど自己満じゃないんです。(と部分的には思いたい) 言葉に出して言う事で、はっきりさせたい物があるんです。なんとなくで済ませておくと気持ち悪いから、言葉にしておきたい物があるんです。それによって関係性がよくなると思ってるんです。(自分なりに相手の事を考えているはず!)。ちょっと意見が合わなくて喧嘩越しになってしまったとき、あとで「ごめん」と言いたくなる、そんな感じ。 この文章自体も自己満ですけどね。 ちょっともやっとした気分の、そんな火曜日でした。

朝型生活実行中!

さて、先月もろもろのことが落ち着いてから、朝型生活に切り替えました。その過程を綴っておこうと思います。 愚行を繰り返し続けた そもそもにして、僕は夜型人間でした。夜の2時ぐらいまで研究室にいて、実験もしますが関係ない事もやって。だって、大学にいたら光熱費浮くんだもん。そんなんだから、起きる時間も11時とかで遅く(それでも9時間睡眠なのですが)、登校してからももろもろの整理で昼の4時ぐらいまでは動けず、その後実験などを始め、他の事もしていたら日付が変わり。。。の繰り返し。 どう見たって効率的な動き方じゃないですよね。それに、他の人に遅れをとって動くのでそれに追いつくので精一杯でした。 朝型生活を手に入れた 今どういう生活をしているかというと、6時に起きて、7時過ぎには学校に行って新聞を読み、TOEICの勉強をして9時ぐらいになったら実験を開始。夜の8時には研究室を出て家に帰り、晩ご飯を作って日付が変わるぐらいまで本を読む。という生活です。 個人的にはまとまって何か出来る時間があるので非常にいい生活スタイルだと思います。6時起きも慣れれば目覚ましより早く目が覚めます。とは言いつつも、毎日6時起きを続けるのは非常につらいので、土日は満足いくまで寝る事にしています。それでも10時ぐらいかな。以前は14時ぐらいまで布団の中にいた事を考えると、大きな進歩です。 そして、日曜日には6時起きのモチベーションが一番低くなっているので、月曜朝の朝活に参加してリセットする。これを繰り返し始めて早2週間です。体の調子もいいし、何しろ、誰もいない研究室に朝一番で乗り込める優越感に浸れるのがいいですね。 これから解決すべき課題として、「スキマ時間の有効活用」があります。まとまった時間を手に入れてしまったが故に、スキマ時間は自由な事をしているので、その時間をうまく使えれば、もう一歩レベルアップできる気がします。 朝型生活に大切なポイントをまとめます。 1、早起きする 2、早く家に帰る 3、何かするのにまとまった時間を作る 4、スキマ時間を活用する 5、1〜4を続けるために、1週間の中でのリズムを作る でも、朝型に移るのってそんなに簡単じゃない 実際に朝型生活をするにはこれだけの要素があれば出来ると思います。問題は、いかに今の夜型から朝型に切り替えるか。 生き物の体内時計は25時間だと言われ

脱恒例化社会

「高齢化」ではないです。研究室の追いコンで、ちょっと変わった演出をしたら思ったより評価された事、プレゼンの方法を変える事で参加者の食いつきが変わった事、この辺りから考えて行きたいと思います。 大きな、あるいは伝統ある組織・集団になると、「毎年恒例ですが、、、」という文言は珍しくないと思います。僕自身も学生団体や研究室など、ある程度まとまりとして続いているところに所属しているので、明言していなくても「恒例化」してしまっている部分があるのはわかります。 しかし、「恒例化」とはよい事なのでしょうか?いや、悪いとも言い切れないです。もうちょっと深く考えてみます。具体例を交えていないのでわかりにくいですが、みなさんの身近にある事象(毎年恒例のイベント、毎週のゼミ発表、など)に当てはめて考えてみてください。 ・「恒例化」の良い点 組織構成員に「期待」をしてもらえる点では良いのではないでしょうか。その点で、コンテンツとしてすんなりと理解してもらえるので、集団としてまとまって動く事が出来ます。 ・「恒例化」の悪い点 慣例化することです。あるいは形骸化。「なぜそれを行っているのか?」という意味付けが消え去り、やることありきで物事を進めてしまうことがあります。 あ、書いてる途中に気づきました。「脱恒例化」とは言っても、完全に抜け出すのではなく、部分的に抜け出して新しい要素を加えて行けば、いい意味で期待を裏切る形で続いていんじゃないでしょうか。「恒例化」した物を抜け出すのは簡単ではあるけど、「恒例化」したのはこれまで何世代も続けられてきたからこそ。その継承に乗っかるためには、部分的に「恒例化」した部分を残しつつ、新しい物を取り入れていいく。 「ちょっとの『変』が、大きな驚きを生み出す」 そんな「脱恒例化」が出来たらいいなと、仕掛人としては思います。

アッセンブル

先日聞いた「アッセンブル」という言葉。今後も長くつきあいそうな言葉なので、書き留めておこうと思います。 アッセンブルとは、 英語の 綴り は「 assemble 」。「集める」「 組み立て る」などといった意味。 だそうです(Weblioより)。辞書的にはこんな意味だったんですね。バラバラになっている物を組み立てていく。 僕がこないだ聞いたのは、このイメージとは少し違うかもしれません。 いろいろな資源を集め、新しい物として形を変えて世に出す。それがアッセンブルなんだと感じました。「普通は」普段もアッセンブルしているようなのですが、僕は自覚がなく、いや、むしろやっていないのではないかと思います。というわけで、生活の中でアッセンブルを実行していきます。 身近な事から出来る事は、インプットした情報に自分の解釈をつけてアウトプットする事。人や本から聞いた事をそのまま伝えるのではなく、これまでの自分の経験と紐つけてアウトプットする。これはすぐにでも出来そう。 将来的にできるようになりたいのは、やっぱりビジネスをつくることかなと。既存の価値観をアッセンブルする事で新たな価値とニーズを生み出し、お金に変えていく。お金はなくてもいいですね。社会に認められる新しい価値を生み出す事。それが究極のアッセンブルなのだと、今は思います。 多分、人によって考え方は微妙に違ってくる事だと思うので、その点コメント等いただければ幸いです。