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2011年を振り返って

今年も残すところあと1時間となりましたが、この1年を振り返ってみようと思います。 この1年は、僕にとっては「人の死」と向き合うことが多い1年だったと思います。しかも、今年ほど死について考えることが多い年はありませんでした。その中でも特に心に残っている死を4つ書こうと思います。 まずは、忘れもしない3月11日。東日本大震災。実は次の日が僕の誕生日でした。人が生まれた日に人が死ぬ。複雑な気持ちです。当時のメディアに踊らされていた感もありますが、行方不明者数がどんどんと増えていくのを見て、一体何が起こっているのか全く理解できませんでした。 そして、今現在も、本当にあの震災があったのか実感がありません。現場を見に行ったわけではありませんし、聞く話はすべて人からの伝聞です。果たして、本当に震災はあったのでしょうか? ただ、最近聞いた話で「あれは人が13000人死んだ出来事じゃない。一人の死が13000件あったんだ」という解釈をしている人がいると聞きました。確かビートたけしだったような。それでも実感はありませんが、人数だけでくくってしまうのは、出来事の本質を見失っている気がしました。 次に、アップルCEO、スティーブ・ジョブズの死。この2年で僕はすっかりアップルユーザーになりました。iPhoneに始まり、MacBook ProにiPad。アップル製品のおかげで僕のQOLは格段に上がったように思います。そのアップル製品を生み出し続けたジョブズ。オバマ大統領も「優秀な人材を失った」と言われていましたが、あそこまでヒット商品を生み出す人材が他にいたでしょうか? おそらく、病床でもアップルの今後の方針を考えていたのでしょう。この先2年程度はジョブズの想像通りの世界が広がるのだと思います。しかし、そのあとはアップルも衰退するような気がします。過去に、アップルからジョブズが追放され、ジョブズが戻ってきた途端に様々な改革でヒット商品を生み出し続けたように。偉大な指揮官の不在は、兵の指揮を下げます。ポストアップルの時代には何が来るのでしょうか? それから、僕の所属学会に多大な貢献を果たされた先生の死。個人名などは伏せますが、この分野に大きな貢献を果たされたことは間違いありません。僕は直接教えていただく機会はありませんでしたが、周りの先生方の様子や、これまでのエピソードを聞くに、様々な方面から厚

この世界が3次元である理由がわかったらしい

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Gizmodoの記事 によれば、この世が3次元である理由がわかったらしいです。 でも、詳しいことはよくわかりません笑 (Wikipediaより) よくわからないんですが、関連動画として挙げられていた 下のニコ動を見て思ったこと、特に「科学とは?」について書こうと思います。 <p><p><p><a href="http://www.nicovideo.jp/watch/sm8018583">【ニコニコ動画】超ひも理論の世界</a></p></p></p> 科学は絶対じゃない とりあえず、研究者自身も何が正しいかわからないのです。その理由は大きく2つあると思います。 ・一つの真実も見方によっては複数の事実になる ひも理論で出てくる一般相対性理論や量子力学に限らず、すべての自然科学、社会科学においてもそうであるように、「真実は一つ。だけど、事実は必ずしも一つじゃない」のです。 日常生活の中でも、例えば裁判になると、証言が食い違うことがありますよね。研究の世界でも全く同じことが起こっていて、人によって見方が違うため、違うことが起こっているように見えるのです。 それは、場合によっては本人の都合のいい解釈でしかない場合もあります。しかし、たまたま

ホスピタリティとは

今日までクラークシアターが開催されています。 といっても、あと2時間ほどで閉演してしまうので、 次は来年、ということになってしまうのですが。 今年は例年に増して企画が盛りだくさんで、 しかも、外部とのつながりもいくつかあるようです。 ・北大ショートフィルム製作委員会 ・北大カフェプロジェクト ・飛んでけ車いす それぞれの団体と、北大映画館プロジェクトを比べると、 いいところと思うところがあります。 その中で気づいたのが「ホスピタリティ」に対する考え方。 どこの団体が、という訳ではなく、 これはいろいろな学生に言える事だと思います。 自分たちは一生懸命企画を作っている。 だから企画の中では自分たちが一番なのか? 外部からたくさんの人を呼び込む事が目的なのか? いいえ、違います。 企画を作っているのは自分たち自身だけれども、 そして、たくさんの人が来てくれた企画を作ったのももちろん 自分たち自身だけれども。 ある団体のスタッフが、 並んでいるお客さんにコーヒーを配りだしました。 これぞ「ホスピタリティ」ですね。 運営上の都合を考えて、最適な方法を、 組み上げられた組織の中で行う。 これは最も無駄がない方法であり、一見ストレスレスな方法であります。 しかし、実際には機械的な対応になってしまったり、 お客さん自身の気持ちになればわかることも、 自分のやるべき事に集中してしまうとわからなくなってしまったり。 繰り返しになりますが、大事なのは、 ・お客さんの気持ちになって考える事 ・お客さんが来てくれるからこそ自分たちの企画が「企画たる」のだという事 ・「ホスピタリティ」=「おもてなしの心」とは何か根詰めて考える事 だと思います。 これから社会人になる学生はもちろんですが、 今一番ノリにノってる2年生に、 6年間の経験から学んだ事として、受け止めてほしいです。

アルマゲドンを視た

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「いまさら?」って感じですが、アルマゲドンです。初めて視ました。 amazon.co.jp こんな時代だからこそ 率直な感想を言うのであれば、「今視るべき映画」です。東日本大震災から半年、アメリカ同時テロから10年、人類は未曾有の自体に直面し、なんとかその状況に立ち向かおうとしている。 特に、大震災によって引き起こされた原発事故は、人為的な問題はもちろん考えられますが、科学の限界も実感させられた出来事でした。この作品の中でも、「あんたが依頼したんだから、責任とってよ!」的なニュアンスのセリフをNASAの担当者に突きつけています。 科学が絶対的なものだと信じられている現れですが、 科学は絶対じゃないんです 。 また、宇宙空間で頻発するトラブルを、乗組員たちがなんとかして乗り越えていく姿は、さながら福島原発で起こっている状況を彷彿とさせます。 一人ひとりが自分の役目を果たして 宇宙空間の隕石に立ち向かうのは、なぜか石油堀りのプロたちです。アメリカのパニック映画っぽいですね。 彼らは自分たちの腕に自信と誇りを持って仕事を続け、隕石に対してもそれは同じです。また、NASAのメンバーも一人ひとりのこだわりを持ち、互いに激しく競り合います。しかし、結果としてそれが納得のいく結論を導きます。 プロフェッショナル同士が自分の意見をぶつけ合う。「不毛地帯」を視たときもそうだったのですが、こっちまで熱くなっちゃいます。 問題解決のために協力する 石油を掘るのは一人ではできません。また、隕石の危機から地球を救うのも一人ではできません。逆に、チームの中で一人が身勝手な行動をすれば、大きく足を引っ張ってしまうこともあります。 そして、チームとして動くことは個性を潰す事ではありません。個性がうまくかみ合ってこそ、大きな事を成し遂げる事ができるのです。 映画の本題には関係ないレビューになってしまいましたが、単純に視て思ったことは、「 科学技術・チーム・こだわり・職人・夢 、この辺りのキーワードに引っかかる人には視てほしい」「ストーリーは読めるのに、なぜかハラハラしてしまう」「石油開発の話はどの話を視ても面白い」などです。 とりあえず、たくさんのことを考えさせられました。忘れた頃にまた視たい映画です。

MacBook Pro(Late 2009)をSSDに換装してみた

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ご存知の方も多いかと思いますが、SSDに乗り換えました。 だましだまし使ってた そもそもにして、今年の始めぐらいから何となく調子が悪かったのです。ずっとクラムシェルモード(外部ディスプレイをつないだ状態でMacBookを閉じて使うモード)で使っていたからか、放熱が上手くいかず、ファンがなりっぱなしでした。 一時はこれが原因だと思ってMacBookを開いて使っていたのですが、それでもスリープから復帰しなかったり、突然再起動したり、何をするにももっさり動いたりしてたまったもんじゃありません。 対応策として今年の4月にOSをクリーンインストールし、アプリケーションも最初から入れ直してなんとか使える状態に戻りました。しかし、今回も同様の対応を取ろうとしたところ、OSのアップデートの途中でフリーズしてしまい、どうにも使える状態ではありません。 Macに付属の「ディスクの検証」を行い「ディスクの修復」も何度も行ってみたのですが、異常な数のエラー(「〜が見つかりません」)が出てきて、ディスクをフォーマットしてみると状況は変わらず、手も足も出せない状態でした。 一方で最近SSDの価格もだいぶ下がってきて、周りでもSSDに乗り換えたりMacBook Airを購入する人が増えてきたため、これを機にSSDに乗り換える事にしました。 SSDに乗り換えた 今回購入したSSDは、OCZというメーカーの120GBのSSD。詳しい品番は忘れました。僕のMacの場合だと、SATA3に対応していなかったので、SATA2の製品を購入しました。実際は下位互換なのでSATA3でも使えない事はないようです。 SATA2はひと世代前の製品という事もあり、特価がつきやすくなっているようです。僕が購入した製品も、13000円でお釣りがくる値段でした。SATA3だと15000円超えは固いので非常にラッキーでした。 換装は やさいしいMacの育て方 を参考に行いました。リンク先ではSSD換装だけではなく、光学ドライブユニットに既存のHDDを取り付けるところまでやっています。 MacBook(Proを含む)の換装には、2本のドライバーが必要です。一つは眼鏡の修理などに使う精密ドライバー(プラス)。もう一つは6つ角のある星形のドライバーです。よくトルクスドライバーと呼ばれているようです。 僕は友達からこのようなドライバーセ

incu-be vol.15

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Twitterに書こうと思ったんですけど、写真が複数枚になってしまい、まとまらなくなったのでブログに書きます。 僕のDNAを形作っていると言っても過言ではない、リバネス。 1年間のインターンシップを通して、たくさんのつながりが出来ました。 人の綱がりはもちろんいまでも絶えませんが、 研究室としてのつながりもあります。 リバネスで行っているプロジェクトの一つに 「若手研究者応援プロジェクト」 というものがあります。そのなかで「若手研究者応援教員」を募っており、僕がインターンシップを現役で行っていたときに、担当教員にアプライしてもらいました。 結果、この incu-beという「研究キャリア応援マガジン」 が発刊されるたびに研究室に送られ、うちの大学院生及び学部4年生は年4回、研究助成や多様なキャリアについての情報を得る事が出来る状態になっています。 今回は、「日本からシリコンバレーのようなベンチャーは生まれるか?」と、ちょっと挑戦的でワクワクさせるようなタイトルです。カヤックやDeNAを始め、日本を代表するベンチャー企業のトップインタビューや、大学教員が若者に求める資質など、盛りだくさんです。 個人的におすすめなのが、「 インターンシップから一生の仲間を作る 」 ここには、去年まで北海道で一緒にインターンシップを行っていた仲間が載っており、読んでて当時を少し思い出してしまいました。 また、「リバネス研究費」という研究助成の情報も載っています。 中でも、今回から新設(?)されたM1向けの助成金は、活用範囲も広くたくさんの応募が寄せられるのではないでしょうか?これれからの研究業界を担う若い力に期待です。 若手研究者応援プロジェクトは、 incu-beのサイト でも情報発信されていますので、是非一度ご覧になってみてください。

東進ハイスクールのCMパロディ

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なんか研究室の後輩が教えてくれて、笑いが止まらなくなったのでここにも載せておきます。 まずは本家CMをどうぞ。 その1 その2 ではお待ちかね。パロディ版。 パロディ版見たら、本家をもう一度見る事をお勧めしますw 他にもハネトビや一般の人もパロディ作ってるんで、検索してみると楽しいです。

【レビュー】050 plusを使ってみた

iPhoneユーザーのみなさん、高い通話料金にお悩みじゃないですか?今回は、そんなiPhoneユーザーの方々に朗報です。「050 plus」というアプリを紹介します。 iPhoneで使える通話系のアプリはいくつかあります。 ・Skype ・Viber など。 ですが、問題点もあって、 ・Skype アカウント作成無料、月学基本料などなし、通話料もいらないためパケット代のみで済む。 しかし、かけたい相手もアカウントを持っている必要があり、特定の相手との通話に限られる。一般電話や携帯電話にかけられるサービスもあるが、料金を先払いしなければならない上に、発信者番号を通知するには追加料金が必要。音質はいいが、金銭面で使いにくさが残る。 ・Viber 電話番号だけで登録が出来る手軽さと、iPhoneの連絡先に登録されている電話番号とサーバーの情報を照らし合わせ、相手もViberを使っているかが自動的にわかる。普通の電話をかけるのと変わらない感覚でかけられるので、使い勝手はいいかもしれない。 しかし、自分の電話番号に加えて、他人の電話番号を第三者に渡すことになること、登録していない相手にはかけられないこと、海外のサービスで国内では一般的に普及していない辺りから、使うこと自体ためらってしまうアプリ。 など、これまでのサービスには使いにくい点が多く見受けられました。 そこで今回の「 050 plus 」です。 このサービスはNTTコミュニケーションズが提供しているもので、一般的なIP電話をiPhoneからかけることができるというものです。そのため、 固有の電話番号を取得 することができ、相手から電話をかけてもらうことも可能です。 さらに、料金は後払い制で、 ・固定電話へは 3分あたり8.4円 ・携帯電話へは 1分あたり16.8円 となっており、月額基本料金も315円(初月無料)です。 その上、今年の9月30日までに申し込めば、さらに 2ヶ月基本料金が無料 になるため、試しに登録して使ってみるのもありです。 僕はインターネット回線はイーモバイルを使っているのですが、先日街中でおばあちゃんに電話をかけたところ、若干こもった声には聞こえましたが、会話には問題ないレベルでした。しかも、通話終了後には、ホワイトプランやWホワイトと比較したときのお得額を表示してくれるのも楽しい

ライバルとは

以前Facebookにも少し書きましたが、「ライバル」について考えてみようと思います。 僕にとってのライバルとは、ズバリ「ムカつく、だけど目標にしたい人」です。 ライバル予備軍はたくさんいる 皆さんの周りにも、目標にしている人がいると思います。その人はどんな人でしょうか?憧れの人?それとも競争相手?同期でしょうか?もしかしたら、先輩、あるいは後輩かもしれませんね。 それから、皆さんは最近「ムカーっ」となってしまったことはありますか?僕はあります。目の前に起こってしまったことに対して、何もできないくらい、なすすべがなくて、何に対してムカついていたのかわからないですけど、ムカっとしてしまいました。 ムカっとする瞬間ってどんな気持ち? この問いかけは自明のような気もします。しかし僕は、「自分の成長のきっかけになる瞬間」だと思います。 みなさん思い出してみてください。ムカっときた瞬間に、自分の中に猛烈に込み上げてくるもの、自分をどこかの方向へ強く導いて行く気持ちが沸き起こったことはありませんか?それが「成長のきっかけ」だと思うんです。 何か今の自分に対処できないことが起こった。だからそれを対処出来るようになりたい。そんな気持ちが沸き起こってきませんか? ライバルは、ムカっとくる 「ライバル」に関しても同じようなことが言えるんじゃないでしょうか? 見てるとなんかイライラして、なんとなく好きになれない。だけど、そんな相手を見ていると自分の中に「がんばらなきゃ!」って気持ちが湧いてくる。それが「ライバル」なんじゃないでしょうか? 個人的な定義を一つ加えると、 ライバルには、がんばって追いつきたいけど、追いつけないのがなんとなくわかってる。だけど追いつきたいとがんばってしまう。だけども、そんな自分の姿をライバルには知られたくない。 という、一見矛盾して、そして自尊心を傷つけたくないような気持ちが、ライバルに対しては起こってしまうと思います。 みなさんにとってのライバルは、どんな人ですか?

ニッポンの夏、節電の夏

あっちー。と母親が言う。fegta@帰省中です。やっぱ本州の夏が一番ですね。ん?今年は「節電の夏」だって?そういえばそんな話もあったなあ。 電力って足りてないの? といいますのも、僕が普段生活しているのは札幌で、泊原発3号機が営業運転に入れない、と言いつつも電力は足りている模様。 さらには帰省先は中国電力の管内であり、こちらも電力は足りている。というか、関西電力に売電するために他社の火力発電所から買電しているという健闘ぶり。頭が下がります。 そんなこんなで電力には不自由ない生活を送っているのです。 一方の関西電力や東北電力、東京電力は電力が足りていない模様。「節電の夏」は続きますね。東京電力にいたっては、消費者に節電を要請する上に、余剰の電力を東北電力に送るという状況。東日本はとんでもない状況ですね。 なんのための節電? しかし、政府は西日本地域(関西電力、中国電力、四国電力、九州電力)に対しても節電の要請をしている。さらには、僕の大学でもこの6年間で初めて節電の呼びかけがありました。 北海道でも、西日本(関西電力管内を除く)でも電力は足りているはずなのに、なぜ節電しなければならないのでしょう?節電してできた余剰の電力を他社に売電するというなら話はわかりますが、その点に関して説明がないところを見ると、売電のため、という可能性はなさそうです。 節電の必要がないのに無理矢理節電をするのはQOLを下げるという点でも、精神衛生上よくないと思います。 節電ムーブメントの根源は? 原因として考えられるのは「和」の心。震災直後はこの言葉が流行りましたね。震災にめげず、協力し合って生き抜いていこうとする日本人の姿が海外メディアでも報道されていたという話は記憶に新しいです。 「和」がもたらしたネガティブな面もありました。それが「自粛」。震災直後の消費経済の低迷がここにあります。当人たちとしては、被災地の人に申し訳ないと思った結果なので、悪気はなかったのですが、よい結果にはつながらなかったようです。 そして今回の「節電」。やはり「和」がもたらすところではないのでしょうか。となりの家が節電してるからうちも節電しなきゃ。みたいな。もちろん節電自体はいいことですけど、行き過ぎた節電はよい結果にはなりません。 === 同じように今回の「節電」の意味に気づいている人がいる裏付けとして、うちの大学

理系大学院生とは

僕は理系大学院生です。最近学部生や、文系大学院生を見て、「理系大学院生って何だろう?」と思うところがあったので書き綴ってみます。 ちなみに、ここでは「理系大学院生=修士課程(博士課程前期)の理系大学院生」とします。博士課程(後期)とは明らかに一線を画しているので区別します。 理系大学院生は大学生から数えて6年間の学生生活を送ることになります。内訳は、学部生4年間+大学院生2年間です。理系大学院生自身としては、学部からそのまま持ち上がる形が多いため、実質6年生大学にいるような気分です。しかし、担当教員に言われるがまま実験を行っていた学部生時代とは異なり、大学院生にはそれなりのレベルが求められているように思います。 面白い事に、理系大学院生の中にいると、自分自身がコテコテの理系だという事にはなかなか気づけません。少し言い方を変えると、「理系的思考をしている事に気づけない」となるのでしょうか。 今度は逆に、理系大学院生自身の立場ではなく、外(文理学部生や、文系大学院生、社会人)から見た場合の理系大学院生を考えてみます。 理系畑に6年間埋もれていたという事で、やはりコテコテの理系というイメージが強いのでしょうか。その分、専門的な知識であったり、経験からではなく、再現性の取れるデータから客観的な判断ができることが求められていたりするように感じます。特に、大学院進学という選択肢のある学部生から見れば、研究にずっと打ち込んでいる姿を想像されるのでしょうか。 単純に、大学院生と学部生のイメージだけで考えてみると、やはり学部生は大学院生に比べて元気があるように感じます。逆に、大学院生は落ち着いていて、冷静な判断が出来るイメージがあります。これは就職活動を通してであった人を見て感じる事です。研究室にいるだけでは感じる事は出来ません。 こうやって自分自身の立場を客観視してみると、「理系大学院生ってなかなか気持ち悪い生き物だなあ(笑)」と思います。だって、これだけ一つの場所に居座って、ずっと何かしらやり続ける事は、外にいる人から見たら「飽きないのかなあ」と思われる事は 必死 必至です。 だけど、そこに何か追い求めたい真理があって、その証明をするために日々実験に励む。それが理系大学院生の姿なのかなと思います。

最近「無難に生きてない?」と言われる。

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自覚はあります。だって朝型人間になろうとしたり、まじめに実験やろうとしたり(たまにブログを更新しますが)してると、リスクを取らなくなってしまうのです。 (この絵、なんかいいなあ。 こちら から転載させていただきました。) あと、以前に比べて自分から外部の情報を遮断するようになり、積極的に情報を取りに行かなくなった事が一因です。 と、、、こんな感じに言い訳ばっかりしてるといいことないですね。以前の調子を取り戻します。新しい人に会って、いろいろ話聞けば、自分の知的好奇心は戻ってくると思います。 @tsubotanが言ってました。 学生のうちはバカやろうぜ! はい、バカになります。そうやって、今週末はうちで焼肉やってましたから。やっぱ自分のうちにたくさんの人が集まるといいですね。刺激になるし、またやりたいと思う。 この夏はいくつか新しい事も始めようかと思ってみたり。無難に生きてる自分にさよならです。

Facebookの「いいね!」と「コメント」をbloggerに貼付けてみた。

ここまでくるのにどれだけの時間がかかった事か、、、いや、そんなにかかっていない。賞味2時間ちょっとぐらい。だけど、微妙に仕様が変わっていたので、なぜ出来ないのか原因究明に時間がかかってしまいました。 とりあえず、これだけFacebookを使っていて、周りも使っているのでぜひとも連携したいとは思っていたものの、記事ごとに「いいね!」をつけられる機能がわからず、いろいろ探してました。 最終的に参考にさせていただいたのはこちら。 BloggerにFacebookの新コメントシステムを実装する この通りにやると上手くできません。なぜか。ソーシャルプラグインのコードを表示する画面で、自分のappアカウントも表示されないし、同じようにコードを打ち込むとなぜか上手く行かない。 結局、下記のコードで上手くできました。 。。。と、載せようと思ったら、HTMLコードが認識されてしまって上手く表示されません。無念。。。 とりあえず、これで一件落着。ほんとはもっと細かいレイアウトをいじりたかったのですが、いかんせんHTMLタグが基本的なものしか読めないため、変更は難しかったです。またゆっくり時間が取れるときにいじってみようと思います。

試されるまち、さっぽろ

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昨日の記事の続きです。ワールドカフェを行う中で、自分の中で札幌の位置づけが出来てきたのでまとめてみようと思います。 札幌は「試されるまち」である。 これが僕の結論です。 前回の記事でも、「カスタマイズできる」「コンパクトシティゆえに新しいものを評価しやすい」ことが、札幌の特徴として挙げられていると書きました。 さらに、学生の身分である事を考えると、札幌は「仮住まいのまち」でもあります。4年、あるいは6年間の短い時間を過ごすところ、それが札幌です。 仮住まいの身分ではありますが、その中で様々なトライアンドエラーを繰り返す事が許されれば、固定された住民はいなくとも、代謝のいいまちになり、入れ替わり立ち替わり新しい文化が芽生えるまちになるのではないのでしょうか。 こういう書き方をすると、ずっと札幌に住んでいる人にとっては、「そんな一時しか住まない若いやつはいらん!もっと長い間住んでる人の気持ちも考えてくれ!」という思いが出てくるかもしれません。 だったらそこに学生のチャレンジの場を設けてあげればいいじゃん! 具体的には、介護・福祉・地域安全の分野において、学生のアイデアとパワーを活用できるような仕組みを作れば、「仮住まい」の学生であっても、あるいは学生でなくても、「社会のためにいい事」が出来るんじゃないでしょうか。 一つでいいから、札幌でモデルケースが誕生すれば、それが全国や世界の地方都市のスタンダードとなり、「パイロットシティ」としての札幌”らしさ”を打ち出す事も可能だと思います。そう、何かに縛られる事なく、新しい発想を試す事が出来るまち、それが札幌なんじゃないでしょうか。 そのために必要なのは、、、優秀なコーディネーターですね。すごいアバウトなところに行き着いちゃいましたけど、現状ではきめ細かいマネジメントが求められているということになるんでしょうか。非常に大きな課題ですが、次の10年を生きるには、解決されなければならない課題だと思います。

さっぽろ1000人ワールドカフェに参加してきました #sap_wcf

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札幌市が?ワールドカフェ?みたいなかんじで、100%興味本位で参加しました。その報告と感想を書き綴りたいと思います。 本日13時から16時半まで、ロイトン札幌にて「さっぽろ1000人ワールドカフェ」に参加しました。今日の記事で書く内容は以下の通りです。 ・僕がなぜ参加したか ・企画の趣旨について ・企画の運営について ・ワールドカフェの中で出た「名案」について ・上記についての評価 ではまず、 僕がなぜ参加したか です。 僕は学生団対活動に関わる中で、「ファシリテーション」に興味を持つようになりました。ファシリテーションという言葉はあまりなじみがない人も多いと思うので言い換えると、「どうやったら話し合いを上手く進める事が出来るか」ということです。(実はちょっと違いますけど、この言葉が一番わかりやすいと思います) 実際に北大映画館プロジェクトでは、組織内で生じた問題の解決方法を(メンバー自ら導きだすために)ワールドカフェの形式を用いて、導きだしました。 ちなみにそのときに参考にしたのが「 決めない会議―たったこれだけで、創造的な場になる10の法則 /香取一昭」です。 内容はさておき、学生団体の場でワールドカフェを実践する事があったのです。 しかし、学生が企画する物で出来る範囲は決まっています。特にワールドカフェとなると幅広い層の人々に対してどのようにアプローチを取るか、非常に難しいので、学生主導だと100人が限度かなと言ったところです。 今回は「1000人」でワールドカフェをするという事だったので、どのように運営するのだろうかと思い、参加してみました。また、個人的にまちづくりには興味があったので、ワールドカフェを用いたまちづくりを見てみようとも思いました。 つぎに、 企画の趣旨について です。 現在札幌市は平成25年からの10年間を計画期間として 「札幌市まちづくり戦略ビジョン」の策定 に取り組んでいます。急速な時代変化に対応するため、将来を見据えた、しかも地に足の着いた議論が必要です。そのため、市民を巻き込んでビジョンの策定に取り組もうとしています。 資料によりますと、ビジョン策定にあたっては「市民と共有できるビジョン」「『選択と集中』のための重点戦略」が大きな視点として挙げられています。 その中で、市民参加事業の一つとして今回の「さっぽろ1000人ワールドカフェ」

暑い(そんなわけない)、節電の夏

7月に入って、「節電の夏」が始まりました。始まりましたと言っても、今のところ北海道はほとんど関係ないんですけどね。そもそもにして北海道の夏は扇風機で乗り切れるのです! 節電によって空調設備や交通機関の一部規制がかかっているため、一般的な家庭には大きく2つの影響が出ていると考えられます。その影響と消費市場の変化を考えてみます。 1つは「室温(体感温度)の上昇」です。 電力会社などからの節電の要請を受けて、一般家庭でも冷房設備を始めとして電化製品の使用頻度を下げているようです。 ここで売れてくるのが扇風機です。クーラーほどは効果はないですが、少ない電力で空気を循環させ、少しでも冷涼感を得ようと、扇風機を購入する過程が多くあるようです。また、 http://allabout.co.jp/gm/gc/185453/ 今日の日経新聞に掲載されていた「シャワー用入浴剤」はユニークです。 普通にシャワーを浴びた後、この入浴剤を体に塗って、もう一度シャワーを浴びると爽快感がえられるという物です。確かに、水道代やガス代の節約のためシャワーを浴びる人は多いですが、お湯を浴びて火照ってしまいます。うまいところをついていますね。バスクリンや花王から発売されているようです。 http://www.bathclin.co.jp/news/2011/0308.htm http://www.kao.com/jp/bubshower/ また、室温を上げる調理は避けられる傾向にあるようです。特に揚げ物。この点を新たな市場にしたのがコンビニです。コンビニで唐揚げやハンバーグなどのホットフーズを調理して提供しています。普段は一人暮らしの学生や、宅飲みのつまみなどに買われていた総菜ですが、一般家庭用に対しても売り出そうとしてます。 http://www.j-cast.com/2011/07/11100736.html?p=2 2つ目は「外出機会の減少」です。 電力不足と放射線を気にする事から、家庭内でできることに焦点が当たっているようです。例えばボードゲーム。 人生ゲームやモノポリーなどの、大人数で遊べるボードゲームの売り上げが伸びているようです。正確な数字は忘れましたが、前年比2〜3倍の売り上げだったように記憶しています。 http://moneyzine.jp/article/detail/197505

Cheerzを使ってみた。

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「今」一緒にホームページを見ている人とやりとりできる「Cheerz」を始めてみました。@enochanがやってたので、ついでにやり始めてみたのですが、まだよくわかっていません。 とりあえず、登録画面はこんな感じ。 ログイン画面はなく、新規会員登録の表示があるだけです。 ログインはtwitterやfacebookのアカウント経由で行えるのでらくちんです。最後に、ブラウザにアドオンの追加を求められるのでお忘れなく。これがないと画面下に見られるアイコンが表示されないのだと思います。 アカウントを作ってアドオンを入れたら、適当なページを開きます。すると、、、 こんな風に画面下にメニューアイコンと、掲示板(↑と↓の数が書かれたもの)が表示されます。表示されない場合はしばらく待ってると表示されます。 おそらく、既にCheerzのアイコンを持っている人が当該のページを見ている場合、このようなアイコンが出てくるのですが、そうでない場合はしばらく待って、サーバー側で設定が亢進されるのを待たないと行けないのだと思います。 アイコンが出てきたらつぶやいてみます。 つぶやきは、同時に同じサイトを見ている人に通知されるみたいです。 次に、掲示板的な何かを使ってみます。 書き込んで、「Cheerする」か「Zreechする」か選んでつぶやくようです。このつぶやきはページに残るため、後日ページを訪れた人にもわかるようになっています。twitterやfacebookのチェックを入れれば、連携して投稿がなされるようです。 これ、どんなページでもコメントできるようです。 現に、このブログの編集ページにも表示されています。 今のところ、これ以上の使い方はわからないのですが、報告まで。新しく使えそうな機能が見つかれば追記します。

「言葉に出して言う」こと

人によっては「そんなの言わなくたってわかるじゃん」あるいは「言わない方がいいじゃん」っていう人もいます。でも、そういうことでも僕は「言葉に出して言う」タイプです。 だけど、そんな自分の態度は「ただの自己満じゃん」って、やっとのことで気づきました。 上にも書いた通り、僕は「言葉に出して言」わないと済まないタイプです。自分の中でもやもやしてる事を言葉に出す事ではっきりさせて、周りの反応を確認して確信を得る。そうしないと、自分の考えている事を固める事が出来ないんです。 このブログも同じような物です。自分の中で考えている事を文字に起こす事で、考えを客観的に見ると同時に、他人からのフィードバックを期待する。そうすることで、自分の考えがしっかりした物になると思っています。 ですが、世の中には「言わなくてもいい事」があります。TPOを考えて言わなくていいことではなく、「そんなの言わなくていいじゃん」っていうぐらいの、「文脈を読めばわかるので、改めて言う必要のない事」を差します。でも、僕は言っちゃうんです。言わなきゃ済まないんです。っていうと完全に自己満ですね。 だけど自己満じゃないんです。(と部分的には思いたい) 言葉に出して言う事で、はっきりさせたい物があるんです。なんとなくで済ませておくと気持ち悪いから、言葉にしておきたい物があるんです。それによって関係性がよくなると思ってるんです。(自分なりに相手の事を考えているはず!)。ちょっと意見が合わなくて喧嘩越しになってしまったとき、あとで「ごめん」と言いたくなる、そんな感じ。 この文章自体も自己満ですけどね。 ちょっともやっとした気分の、そんな火曜日でした。

朝型生活実行中!

さて、先月もろもろのことが落ち着いてから、朝型生活に切り替えました。その過程を綴っておこうと思います。 愚行を繰り返し続けた そもそもにして、僕は夜型人間でした。夜の2時ぐらいまで研究室にいて、実験もしますが関係ない事もやって。だって、大学にいたら光熱費浮くんだもん。そんなんだから、起きる時間も11時とかで遅く(それでも9時間睡眠なのですが)、登校してからももろもろの整理で昼の4時ぐらいまでは動けず、その後実験などを始め、他の事もしていたら日付が変わり。。。の繰り返し。 どう見たって効率的な動き方じゃないですよね。それに、他の人に遅れをとって動くのでそれに追いつくので精一杯でした。 朝型生活を手に入れた 今どういう生活をしているかというと、6時に起きて、7時過ぎには学校に行って新聞を読み、TOEICの勉強をして9時ぐらいになったら実験を開始。夜の8時には研究室を出て家に帰り、晩ご飯を作って日付が変わるぐらいまで本を読む。という生活です。 個人的にはまとまって何か出来る時間があるので非常にいい生活スタイルだと思います。6時起きも慣れれば目覚ましより早く目が覚めます。とは言いつつも、毎日6時起きを続けるのは非常につらいので、土日は満足いくまで寝る事にしています。それでも10時ぐらいかな。以前は14時ぐらいまで布団の中にいた事を考えると、大きな進歩です。 そして、日曜日には6時起きのモチベーションが一番低くなっているので、月曜朝の朝活に参加してリセットする。これを繰り返し始めて早2週間です。体の調子もいいし、何しろ、誰もいない研究室に朝一番で乗り込める優越感に浸れるのがいいですね。 これから解決すべき課題として、「スキマ時間の有効活用」があります。まとまった時間を手に入れてしまったが故に、スキマ時間は自由な事をしているので、その時間をうまく使えれば、もう一歩レベルアップできる気がします。 朝型生活に大切なポイントをまとめます。 1、早起きする 2、早く家に帰る 3、何かするのにまとまった時間を作る 4、スキマ時間を活用する 5、1〜4を続けるために、1週間の中でのリズムを作る でも、朝型に移るのってそんなに簡単じゃない 実際に朝型生活をするにはこれだけの要素があれば出来ると思います。問題は、いかに今の夜型から朝型に切り替えるか。 生き物の体内時計は25時間だと言われ

脱恒例化社会

「高齢化」ではないです。研究室の追いコンで、ちょっと変わった演出をしたら思ったより評価された事、プレゼンの方法を変える事で参加者の食いつきが変わった事、この辺りから考えて行きたいと思います。 大きな、あるいは伝統ある組織・集団になると、「毎年恒例ですが、、、」という文言は珍しくないと思います。僕自身も学生団体や研究室など、ある程度まとまりとして続いているところに所属しているので、明言していなくても「恒例化」してしまっている部分があるのはわかります。 しかし、「恒例化」とはよい事なのでしょうか?いや、悪いとも言い切れないです。もうちょっと深く考えてみます。具体例を交えていないのでわかりにくいですが、みなさんの身近にある事象(毎年恒例のイベント、毎週のゼミ発表、など)に当てはめて考えてみてください。 ・「恒例化」の良い点 組織構成員に「期待」をしてもらえる点では良いのではないでしょうか。その点で、コンテンツとしてすんなりと理解してもらえるので、集団としてまとまって動く事が出来ます。 ・「恒例化」の悪い点 慣例化することです。あるいは形骸化。「なぜそれを行っているのか?」という意味付けが消え去り、やることありきで物事を進めてしまうことがあります。 あ、書いてる途中に気づきました。「脱恒例化」とは言っても、完全に抜け出すのではなく、部分的に抜け出して新しい要素を加えて行けば、いい意味で期待を裏切る形で続いていんじゃないでしょうか。「恒例化」した物を抜け出すのは簡単ではあるけど、「恒例化」したのはこれまで何世代も続けられてきたからこそ。その継承に乗っかるためには、部分的に「恒例化」した部分を残しつつ、新しい物を取り入れていいく。 「ちょっとの『変』が、大きな驚きを生み出す」 そんな「脱恒例化」が出来たらいいなと、仕掛人としては思います。

アッセンブル

先日聞いた「アッセンブル」という言葉。今後も長くつきあいそうな言葉なので、書き留めておこうと思います。 アッセンブルとは、 英語の 綴り は「 assemble 」。「集める」「 組み立て る」などといった意味。 だそうです(Weblioより)。辞書的にはこんな意味だったんですね。バラバラになっている物を組み立てていく。 僕がこないだ聞いたのは、このイメージとは少し違うかもしれません。 いろいろな資源を集め、新しい物として形を変えて世に出す。それがアッセンブルなんだと感じました。「普通は」普段もアッセンブルしているようなのですが、僕は自覚がなく、いや、むしろやっていないのではないかと思います。というわけで、生活の中でアッセンブルを実行していきます。 身近な事から出来る事は、インプットした情報に自分の解釈をつけてアウトプットする事。人や本から聞いた事をそのまま伝えるのではなく、これまでの自分の経験と紐つけてアウトプットする。これはすぐにでも出来そう。 将来的にできるようになりたいのは、やっぱりビジネスをつくることかなと。既存の価値観をアッセンブルする事で新たな価値とニーズを生み出し、お金に変えていく。お金はなくてもいいですね。社会に認められる新しい価値を生み出す事。それが究極のアッセンブルなのだと、今は思います。 多分、人によって考え方は微妙に違ってくる事だと思うので、その点コメント等いただければ幸いです。

中等教育学校

今日、中等教育学校という学校があるのを知りました。 これまでに中高一貫と呼ばれる、中学校と高等学校が併設された形の学校は良く聞いていました。しかし、これはあくまで違う2つの学校であり、中等教育学校では学校の垣根さえも無いので、一つの学校として教育を行うことが可能なようです。 すなわち、いわゆる中高一貫では高校での指導内容を先取りすることがほとんどでしたが、あくまで先取りあり、中学校で指導する内容は中学校に過程で指導しなければなりません。 しかし中等教育学校では、中学校に相当する前期過程と高校に相当する後期過程の間で、指導内容の入れ替えができるため、より自由な指導設計が可能になります。 個人的には、中学校と高校の指導内容はかなり重複している部分や、連続して指導した方が良い部分も多くあると感じるため、中等教育学校の取り組みはかなり合理的であると、聞いた直後は思いました。 しかし、中高一貫では外部からの入学者がいるのに対し、中等教育学校では(おそらく前期過程終了後に外部の高校に進学することは可能なようですが)外部からの入学は基本的にできないので、同じ面々と6年間を過ごすことになり、社会性が養われにくいという考え方もあるようです。 ならば、他の学校と交流を持ったり、社会人と触れ合う機会を少しでも多く作れば、この問題も少しは解決されるのではないかと思います。科目の指導内容がスリム化されれば、空いた時間で社会性を身につけられるような指導を行うことも可能ではないでしょうか。

iPad2の使用感

さて、TwitterやFacebookで騒ぎ立てていたiPad2の件ですが、無事に入手いたしました。レビューを待ってから購入すると言っていましたが、そんなことして気を揉んでいる暇はなく、もう当日に手に入れるしかない!と急に気持ちを変え、実験を手早く終えてヨドバシカメラに向かったのでした。 しかし、ヨドバシカメラはすでに売り切れ。そんなバカなと思ってアップルストアに行くと、こちらには在庫ありました。なぜか店員さんが執拗にスマートカバーを勧めてくるのがちょっと困ったのですが、結果的にスマートカバーを何回も試す事ができたのでよかったです。 保護フィルムはエレコムの一番安いタイプを購入。テカテカのクリアタイプです。事前にネットできれな貼り方を調べておきました。あの方法でやると本当にきれいに貼れるんですね。気泡が一つも入らず、位置合わせもバッチリでした。 ケースはシンプルなものをお勧めします。というのも、せっかくの薄いiPadなのに、ケースのおかげで分厚いファイルみたいになってしまうのはナンセンスですからね。僕はシンプリズムの本当にシンプルなケースを買いました。iPadを挟み込むタイプです。少しきついですが、しっかりホールドしてくれるので、安心です。 セットアップですが、初期の立ち上げ自体はすぐに終わりました。僕の場合はその後の写真や動画の同期にかなりの時間を要してしまいました。その代わり、これまでよりたくさんの人と一緒に、たくさんの写真を見れるのでよかったです。 その後、常に肌身離さず使っていますが、まずは非常に軽いです。これまで重たいMacBook Proをカバンに入れていたこともあったので、それに比べると持ち運ぶものが3分の1ぐらいになったのは大きな進歩です。 Webページをみたり、Twitterを眺めたり、今までMacでやっていたことがほぼそのままできます。テキストはevernoteで同期し、ファイルはDropboxやシュガーシンクで同期するため、ビューワーとしての機能は十分に満たしています。 さらに、文字入力も慣れれば結構速く入力できます。実際、一つ前のエントリーからiPadで書いているのですが、キーの位置関係をだいたい把握すれば、物理的なキーボードで打つのとほぼ変わりないです。 ただ、文章作成や画像処理など、Macの全てを肩代わりしてくれているわけではないので、i

次世代型プレゼンテーション

一昨日は学科の新歓飲み会でした。実は、参加者としてこの飲み会に参加したのは初めてです。一度だけ参加した事があるのですが、それは企画側としてでした。 参加してみて思ったのは、やはり学科のつながりというものは強くあるものなんだなと。僕自身、学科の人とはそんなに話さなくなってしまいましたが、久しぶりに会うと何か話を聞いてみたくなるもの、そんなもんですね。 うちの学科の新歓には毎年研究室紹介というものがあります。正直、一昔前まではそれなりにちゃんとやっていたんだと思います。しかし、近年パソコンと呼ばれる便利なものができて以来、そのクオリティーはあらぬ所に向かっていったのでした。 第一世代は、一般的なPowerPointを用いたプレゼンです。内容によっては若干眠くなる時もあるのですが、要点がまとまっている点では一番聞きやすく、親近感が湧くと思います。 第二世代は、写真によるスライドショー。静止画であれば、普段の生活の中の一番いい所だけを切り取って見れる事ができるので、非常に使い勝手のいいツールだ思います。 第三世代は、動画、あるいは静止画を動画チックに利用したもの。これはかなり奥が深いです。単純に素材を並べるだけでもいいのですが、BGMをいじったり、アニメーションを加えたりと、手を加えようと思えばいろいろとできます。今年の研究室紹介はこのパターンが6研究室もありました。残りの2つは一般的なスライドでした。 今回は非常に手が凝った作品が多かったです。凝ってるという時点で研究室紹介の域を超えているのですが、まあそこは置いておいて。画像処理を行ったり、Keynoteのアニメーションを組み合わせたり、あるいはアフレコにして臨場感を出したり(これは事故だったのですがw)、コマ撮りにした写真をつなげて非現実的な映像を作り出したり。さらには、シュールなパフォーマンスとそれにピッタリ合うBGM。どれも技を盗みたくなるような、クオリティーの高い作品でした。 ですが、ここで新たな進化が見られました。第四世代の登場です。 第四世代、それは生身の身体。ここに尽きます。実は研究室紹介と思いきや、AKB48を踊り出した研究室が一つだけありました。だけ、というのはおかしいですが、異常な雰囲気を醸し出してきました。しかし、個人的にはどの研究室よりも伝わるものはあったように思います。 パソコンを使う事が逃げだ

情報リテラシー(facebookおよびtwitter初心者への警鐘)

今日はいつもに増してまじめな投稿。最近僕の周りでもfacebookやtwitterを始める人が多いので、主にその人たちへの警鐘です。 まず始めに、「インターネットへのアクセス手段を持った時点で、それは『リスク』であること」を認識してほしいことです。すべての行動には、いや何もしていなくても人は何らかのリスクを背負って生きていますが、インターネットにアクセスできる時点でそれは大きなリスクです。 同じように、facebookやtwitterのアカウントを作った時点でそれはリスクです。なぜならインターネット上に自分の意見を公開する手段を得ることであるからです。mixiが広まった時代にも同じことが言えましたが、facebookやtwitterに関しては(場合によっては)全世界に発言が公開される可能性もあるため、より慎重になる必要があります。 これまでmixiに代表されるような日本のSNSはclosedな形態が主流でした。これに慣れきったユーザーが同じ感覚でopenなSNS(facebookやtwitter)の利用を始めると非常に危険です。はじめは見知っている友達などをフォローしたり、友達に登録したりするので、この状態では一見友達だけに情報を提供しているように見えます。ですが、もちろんその発言はインターネットを利用できるあらゆる人に対して公開されています。 SNSには特定の人に対してのみ公開する設定も用意されています。facebookはかなり細かい設定が可能です。しかし注意してほしいのは、あくまでfacebookというアプリケーションの中での設定であって、インターネット上に自分に関する情報を公開している点では何も変わりありません。どういうことかということ、ハッキングなどで個人情報が流出する可能性があるということです。 さらに、twitterに関しては(最近はどうかわかりませんが)かなりいい加減なシステムです。細かいシステムはわかりません。しかし、フォローしていたつもりがいつの間にか外れていたり、tweetを非公開設定にしたにもかかわらずいつの間にか公開される設定になっていたりします。これは実際にあった現象です。 このように、「非公開設定だから何を投稿しても大丈夫!」と思って利用していると痛い目を見るリスクがあります。また、プロフィールには最低限の個人情報しか載せていなくても、友

ACロボまとめ

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いろんな意味で世間を騒がせているACのCMですが、3/29現在4つほど見つかりました。まとめてみるとなんか面白そうなので貼りつけてみました。 <グレートおはよウサギ> <キングさよなライオン> <ハイパーおはよウナギ> <ソニックただいマンボウ>

コミュニケーターとメッセンジャー

僕は今コミュニケーターという役割について勉強し、実践しています。同時に、将来はコミュニケーターやコーディネーターとしての立場で活動していきたいと考えています。 しかし、先日「コミュニケーターとはなにか?」と改めて考えさせられる出来事がありました。 あるディスカッションの中で「コミュニケーターとメッセンジャーは違う」というコメントが出てきたのがきっかけです。「メッセンジャー」と聞くと、今までは「メッセンジャーバッグ」しか出てこなかったのですが、コミュニケーターと並べてみると、その働きの違いが明らかに分かります。 メッセンジャーは手紙を届ける人であり、その内容に関しては干渉しない人です。現実世界のメッセンジャー(郵便屋さん)は、もちろん手紙の中身を見てはいけませんが、インターネットや社交の場でのメッセンジャーは、情報の中身を見ることができます。そして、「いいね!」と思ったら他に人に教えてあげるのです。よくマーケティングの用語で「アーリーアダプター」という購買層がありますが、それとはちょっと違うようです。メッセンジャーは単なる情報の媒介者であり、アーリーアダプターになると本人にはその気はなくても、周りからみるとその人が発する情報には価値があるように見えると思います。 アーリーアダプターの場合は、少しコミュニケーターの役割も含まれているかもしれませんが、その行為(=伝えるという行動)に自分の意志・思慮が入っているかどうか、論理的思考や情報の真意を汲みとっていこうとする姿勢があるかどうか、さらには教えられた人に分かるように伝えることが出来ているか、などの点でこの2つの役割は違う気がします。今例に上げたことが出来ているのがコミュニケーターでしょう。 僕も、将来コミュニケーターとして活動していきたいと考えていながらも、やっていることはメッセンジャーやアーリーアダプターに近いことではないかと思っています。コミュニケーターであるならば、伝える情報のどこがいいと思うのか、あるいはどこを批判しているのかなど、自分の立場を明確にすることが必要だと学びました。

強みを持つか、つなぐことに専念するか。

連投です。前の投稿と関連することをちょっとだけ書きます。 今日、NPO的にまちづくり・地域活性の活動をされている方のところへ行き、お話を伺ってきました。そのときに聞いた言葉で印象的だったのが「まずは自分の強みをひとつ持ったほうがいい。次はそれに関連させていろいろと活動する。」これは正しく、前の投稿で書いた「好き」の探求ですよね。 自分の強みは何であるか。僕の場合は「行動力」なのかな。興味を持ったところへはすぐに飛んでいく。話を聞きたいと思えばすぐにコンタクトを取る。「思い立ったが吉日」の言葉通り、すぐに動きます。と、こんなところで自己PRしても仕方なので話を勧めます。 もう一つ言われていたのが、「坂本龍馬みたいにつなぐことに専念するか」。かの薩長同盟のことですね。坂本龍馬のことはあまり良くわからないのですが(今度伝記でも読んでみようか)、何かに際立って得意な分野があったわけではなく、結果的に人と人をつなぎあわせることで大きなものを成し遂げた人の例として挙げられたのだと思います。 果たして僕は平成の坂本龍馬になれるのか。いや、そういうことでもないのですが、とりあえず先週の話と大きくつながる話だったなと、ちょっとデジャブのようなものを感じたのでした。

「好き」の追求

お久しぶりです。このところ、ブログを更新するより忙しかったのです。研究室の追いコンの準備に始まり、帰ってくるなり東北関東大震災の影響がいろいろな所に出てきて、情報を収集するので手一杯な状況でした。 本当に、地震で被害にあった方々には心からご家族の無事、また一刻も早い生活環境の復帰を願うばかりです。遠方であり、まだ現地がプロ集団以外入れない状態であると聞いては、今出来る事をしっかりやることが全てであります。 さて、実は先週日本生態学会におじゃましていました。目的は他にあったのですが、ついでにいつもお世話になっているリバネスの丸さんが講演されるということで、話を聞いてきました。シンポジウム自体の正確なタイトルは忘れたのですが、確か「若手キャリアセミナー」とかだったと思います。 リバネスに関わってそろそろ2年がこようとしている僕にとっては、丸さんが講演するのはどのようなフィールドであるか、しかも「若手」と付けば他にどういう人達が話しをしに来るのか、大体分かってしまうようになっていました。今回もその当たりは大体あっていました。博士を取得していながらも大学や研究機関に残って研究を続けるのではなく、その思考能力の深さや情報収集能力など、研究をすすめるに当たって培った力を違う分野で発揮されている方々のお話でした。 具体的な部分については割愛しますが、どの方も口をそろえておっしゃっていたのが「次はどこで何をやっているかはわかりません。ただ、自分の好きなことをやっているだけです。」という趣旨のお言葉でした。なんというか、「研究」というとことん探求を続けてきた人だからこそ言えることですよね。 ちなみにこのシンポジウムでは、博士を取得したあとのキャリアについて、企業や大学側の意見、当事者である若手研究者に対するアンケートも公表されていました。 話は少し変わって、その学会に高校の同級生が参加していました。この話をあまり細かくすると個人が特定されてしまうので、詳細な部分は避けますが、今回のブログ記事のタイトルにもあるとおり「好き」の探求の凄さを感じたのです。 ある小動物(昆虫?)の研究をしているのですが、とことんはまり込んでいるようなんです。研究自体続けたいという話を聞いていたのですが、実はそれだけではなく、研究室外での活動もかなり盛んだといいます。他の研究室でゼミをやったり、分野的には殆ど

【転載希望】【札幌にいてできること】東北地方太平洋沖地震への募金のお願い

昨日3月11日、東北地方太平洋沖地震が東北関東を中心におそいました。 メディアを通して、悲しい現実を目の当たりにしていると思います。 この地震の現状を見て「なにか助けになりたい!」と思いませんか? まず、私たちが出来ることの一つとして、募金だと思います。 今、出ている募金の方法をまとめてみましたので、 一人でも多くの方に募金のご協力をして欲しいと思います。 また、皆さんには自身のブログ、Twitter、mixiの日記、 所属団体のメーリングリストなどを通して周りの出来るだけ多くの人に このことを伝えて頂ければと思います。 ー募金先一覧ー グルーポン http://goo.gl/VakH5 (*登録必要) CANPAN http://goo.gl/XNzcK (*クレジット決済) Yahoo http://goo.gl/MiS1z (*登録必要) また、コンビニなどのレジにも募金箱が設置され そちらの方にも募金できると思います よろしくお願いします。 札幌・学生有志一同

話す距離って意外と大事(1対1で話をするときどう座る?)

人と話すとき、どう座るかって結構重要な気がします。 例えば、円形のテーブルに椅子が並べられていて、1体1で話をするとき、どう座ったらいいでしょう?もちろん机の大きさにもよりますが、椅子をひとつだけ空けて座るのがいいんじゃないかと思います。 すぐ隣に座ってもいいのですが、ちょっと距離が近くなってしまう。こうなると話をしている途中に発言に困ったとき(話すことがなくなったとき)、「間」を置くというのがやりづらくなってしまいます。なんていうか、威圧感を感じる気がするんですよね。ここは話を進めなければならない、みたいな。 2つ以上空けると、今度は距離を感じてしまい相手の話すことに興味を持ちにくくなってしまう。たわいもない話ならそれでもいいのですが、重要な話をするときは話しに集中できなくなってしまいます。 1つ空ければ、近すぎることもなく遠すぎることもなく超いい距離感だと思います。特に面と向かって話をするときはちょうどいい距離だと思います。間にワンクッション入ってるっていうのがビジュアルにわかるのもいいですし。 書いていて気づいたんですけど、逆に言えばその場の状況に応じて座る位置を変えることが重要なのかもしれませんね。つまり、説教じみた雰囲気でこちらの言う事をガッツり聞かせたいときはすぐ隣りに座る。 別に説教じゃなくても、恋人と話しをしたりして世界観を共有できる人とならその距離感でいいと思います。逆に、初対面の人やそんなに多く話したことがない人の場合は、椅子一つ分空けて座ると適度に間を置きながら離しができるし、相手に興味がないって態度を示しているわけでもないので安心です。さらに、こちらにあまり興味を持ってほしくないときは2つ以上空けて座る。 よく、「つま先の方向が相手に向いていればそれは相手に興味がある時だ」っていう話がありますけど、それとちょっと似てるかもしれません。っていう、気分転換にFacebook見たりしてたらキーボードを叩きたい衝動に駆られた23時前。

教育CSRシンポジウムに出席しました。

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東京3日目、有意義な時間を過ごしております。 さて、今日は株式会社リバネスが主催する「 教育CSRシンポジウム 」に参加してきました。もちろんインターンシップでもお世話になっているリバネスですが、去年辺りからこのシンポジウムを開催しているようです。かなり面白い話が聞けたので、掻い摘んで内容をお届けします。 このシンポジウムでは6人の講演者、報告者の方々のお話を伺うことができました。 <小原さん> 経済産業省 産業技術環境局 大学連携推進課 産業技術人材企画調整官 直前の用事で途中からの参加になってしまいましたが、お話の最後にあったのは「科学技術を取り巻く負のスパイラルを正のスパイラルに変える」ことの重要性でした。現状では、学校の授業と社会のつながりがうまくいかない→人材が育たない→産業の衰退→学校で理科を教える意義低下→・・・と負のスパイラルに陥る可能性があります。これを正のスパイラルに変えることによって、産業が活発になり雇用を生み出し、科学技術の活性化につながります。というおはなしでした。 <東畑さん> 松戸市教育委員会 生涯学習本部 学校教育担当部 指導課 指導主事 この方のお話は非常に面白かったです。何かっていうと、「企業による実験教室を受け入れた教員の意見」「キャリア教育の必要性」という、普段は聞けない教員側の立場での意見を伺うことができたことです。実験教室を終えた教員側の感想として、意外にも「子供たちが楽しむことができた」以外に「教員自身も勉強になった」という意見があったそうです。確かに、先生方の間でも教科指導についての勉強会や研修会は活発に行われているのは僕もよく聞きます。しかし、教職者以外のやり方というのは非常に新鮮である、という意味なのでしょう。また、「現場の研究社員と触れ合うことがキャリア教育につながる」ことも、非常に貴重な意見(普段は聞けないという意味で)だったと思います。 企業実施例「企業オリジナル実験教室の開発と実施」 *実際に学校で実験教室を企画することになった企業の事例を2つ取り上げていました。 <古賀さん> マルハニチロホールディングス 中央研究所 子供たちに科学の面白さ、生き物の不思議を知ってもらうだけではなく、企画側の意図として命の大切さを伝えようとした、という2方面からの目標を設定していました。これにより、長期的な支店で企業価値を

映画『ソーシャル・ネットワーク』を見て(一部ネタバレ)/I've watched "the social network".

いやあ、面白かったです。 細かいところはまた書き足していきますが、記憶の新しいうちにこの気持の盛り上がりを書き留めておきたいと思います。 <創業の面白さ> いろんなところのレビューを読んでいると、共同創業者の一人であるマークがFacebookを立ち上げ軌道に乗せるに当たって、様々な苦難を乗り越えてきた、という書き方がされているのが大半です。しかし僕は、Facebookどうこうというより、マークという一人の創業者の短い自伝のようにも見えました。 なので、ほんの僅かの資金から会社を始め、途中からベンチャーキャピタルの支援を受け、急激に成長していくところはかなり見ごたえがあると思います。見ごたえがあるということは、裏をかえせばしっかり見ていないとあっという間に映画は終わってしまうということです。 <マークの人間性> おそらく、この映画に出てくるマークという人物は、実際のマークより極端な形で描かれている気がします。なんとなくなので、根拠はないです。ただ、熱狂的なプログラマーとしての性格がかなり前面にでて(というのも、序盤の話がそのように見せているので)最後まで経営者・リーダーとしてのマークははっきり写りこんでいなかったようにも思います。映画のストーリー自体も非常に複雑で、いろいろな話が入れ替わり立ち替わり出てくるというのもあり、なかなか経営者としてのマークが現れていなかったようにも思います。しかし、ちゃんと思い返してみれば最初にザ・Facebookを立ち上げる時のマークの気持ちの高ぶりがあり、その先に広がる壮大なビジョンがFacebookをここまで大きくしたのだと思います。その点映画の中では、Facebookを大きくしたのはマークではなく他の人物である、とも見えなくもないため、ちょっと残念です。 <若い人に見てもらいたい> これはほぼノンフィクション映画です。ちょっとばかりの脚色は加えてありますが、実際に起ったことです。これまで僕が観てきた(数少ない)映画は、空想の世界か、ノンフィクションであっても過度に脚色されて涙をそそる構成になっているものがほとんどでした。しかし、今回の映画は企業を経営し成長させるときに困難、泥臭さ、人間臭さを全面に押し出しています。そいういった部分が感じ取れるのであれば、「自分ごと」としてこの映画を観ることができたのではないでしょうか。 僕を含め、こ

最近のコミュニケーションツールを整理してみる

Facebookをはじめ、最近色々なコミュニケーションツールを使っているので、整理してみようと思います。どちらかというとメモ書きに近いものなので、あしからず。 とりあえず、「コミュニケーションツール」と聞いて頭に思い浮かぶものを書き出します。 Twitter、Facebook、ブログ、Tumblr、mixi、社内SNS、Sync-U、Hootsuite、Tweetdeck、Echofon、ブクログ、togetter、twitterfeed、Cashbook、Runkeeper、foursquare、Twipla、Gmail、bit.ly、エントリーシート、携帯電話、Mac、iPhone、メモ、会話、メール、SMS、つぶやき、ダイレクトメッセージ、MSNメッセンジャー、スカイプ、Facetime、Ustream こんなもんかな。 そして、これらを分類します。 ■SNS Twitter、Facebook、mixi、社内SNS、Sync-U、ブクログ、foursquare、Ustream ■クライアントアプリ Hootsuite、Tweetdeck、Echofon、 ■サードパーティ(?)サービス togetter、twitterfeed、Twipla、bit.ly、 ■(いわゆる)メール、メッセンジャー Gmail、メール、SMS、ダイレクトメッセージ、MSNメッセンジャー、スカイプ、Facetime、 ■機材 携帯電話、Mac、iPhone、メモ、 ■ログ ブログ、Tumblr、Cashbook、Runkeeper、 ■その他 エントリーシート、会話、つぶやき では、それぞれのツールのくくりの詳細をば。 ■SNS <mixi、Facebook、Twitter> 今世間を揺るがしている、「ソーシャルメディア」。映画のタイトルにもなっていて(『ソーシャル・ネットワーク』)、この2,3ヶ月で急激に有名になったワードだと思います。2010年はTwitter元年、2011年はFacebook元年とか言われてますね。就活生の一部でも、ソーシャル・ネットワークを活用している学生がいるようです。僕自身、最初に手をつけたのはmixiですが、最近メインになっているのはFacebook。そして、補完的にTwitterを使っています。 というのも、FacebookとTwitterのような生産

最近のFacebookに対する見解-メディアで騒がれているのは間違っている??

中東地域、北アフリカでデモが勃発していますね。 チュニジアがその発端と言われていますが、どのメディアでも「Facebook」「Twitter」がデモの重要な要素として取り上げられています。僕は最近日経新聞をよく読んでいるのですが、毎日デモの記事は載っている上に、必ずFacebookかTwitterの文字を目にします。 先日のNHKスペシャルでも、「Facebookによって政権が崩壊した」ような報道がされていました。この表記に関しては僕は違和感を覚えます。正しく記述するなら、「Facebookが政権崩壊へのスピードを加速した」とか「Facebookによって民衆の怒りがさらに燃え上がった」などの書き方じゃないでしょうか。キャッチーなタイトルで、はやりの言葉を持ち上げるのもいいですが、ちょっとポイントがズレているような気がします。Facebookに詳しい方は僕と同じように違和感を感じられたのではないかと思います。 チュニジアにしろエジプトにしろ、長年独裁を続けてきた政府に対する怒りはあったはずです。しかし、一人ひとりあるいは周囲の少数の人間だけでは政権を崩壊させるほどのエネルギーにはならなかった。そこへ、FacebookやTwitterのようなITツールが登場し(すでにイラク戦争の時に情報をやり取りするツールとしてTwitterは使われていたようですが)、広い範囲で結託することが可能となったという事だと思います。 個人的には、北アフリカなどで起こっているデモは、一種のお祭りのようにも見えます。一人ひとりがもつ不満が集まることで、さらに大きくなる。お祭りでも、自分自身は盛り上がっていなくても、周りが盛り上がっていれば一緒になって盛り上がりますよね。さらにそれが相手を刺激してどんどん盛り上がる。同じことがデモでも起きているのではないでしょうか。僕自身はデモには参加したことがないので、想像の範囲での意見であることをご容赦ください。 Facebookそのものには、政権を崩壊させる力はありません。たとえ、Facebook上で政権崩壊の訴えが増えても、実際の政権には何ら影響はないと思います。影響があるのは、市民が行動に出た時です。こう書くと、「Facebookが市民をデモに駆り立てた」とも言えます。Facebookも大事ですが、やっぱり市民です。市民が動くことによって国が動いたのです

三省堂サイエンスカフェ

久しぶりに、紀伊国屋以外のサイエンスカフェに行ってきました。そして、最近思ったことを文章にすることが少ないので、文章を各トレーニングとして、感想等を書こうと思います。 本日のサイエンスカフェのゲストは、元 北海道大学理学部の准教授 若原正己先生でした。CoSTEPのみが主催している紀伊国屋のサイエンスカフェとは異なり(実際は、他の団体がメディカルカフェなどを開催していますが)、三省堂サイエンスカフェでは、様々な団体が運営を行っています。他にも、参加費が必要であったり、オープンスペースではなく、本当のカフェでやるという点で、いつもCoSTEPの受講生がお世話になっている三省堂のサイエンスカフェとは大きく異なります。個人的には、こちらのカフェの方が自分のイメージするサイエンスカフェに近いので好きです。 タイトルは「スポーツ、人種、そして遺伝子」ということで、いかにもゲノムの話をしそうなタイトルです。ざっくり概要を書くと、「黒人(特にアフリカ出身選手)は足が速いと言われるが、それはひとことに『アフリカ人』とくくるのではなく、東西に分けることによって違いが出る。それは遺伝子の違いに寄る物ではないか」「しかし、遺伝子の違いで足の速さを全て説明できる訳ではない。他の要因も関わってくるので一概に判断することはできない」「環境によって表現型が変化する場合がある」という流れでした。 お話の大きなテーマは「氏か育ちか?=遺伝子か環境か?」で、まとめでは「氏も育ちも」と結ばれていました。これまでは遺伝子が表現型(=足の速さなど)を全て決定しているという生物学的な考え方がメインでしたが、最近は周りの環境が遺伝子発現に影響していると言う、エピジェネティクスやポストゲノムのお話にまで発展していきました。 途中に質問タイムがあったので、遺伝子と表現型の関係について突っ込んだ質問をしてみたのですが、まだはっきりとしたことはわかっていなようです。。。と、今文章に起こしてみて自分がちぐはぐな質問をしていたことに気づきました。アンギオテンシン転換酵素(アンギオテンシンⅠ→Ⅱへの転換、Ⅱの方が血管の収縮作用が強い=高血圧によりなりやすい)についてのお話があり、高所登山家には転換酵素の活性が低い人が多い=アンギオテンシンⅡによって高血圧になる要素が少ない人が多い、という事でした。が、しかし、高所登山家が高血

書評『電通とリクルート』

つい最近読みました。 僕は読んでて結構衝撃だったので、 その気持ちを忘れないうちに書き留めておきます。 これ書いたら寝ます。 実は著者は博報堂OBの方です。 だからと言って、第3者的な視点であるかどうかはわかりませんが、 少なくとも客観的に2社を見ていると思います。 そもそも、タイトルは『電通とリクルート』となっており、 この2社の特性等について書いてありそうですが、実際は少し違います。 確かに、2社の成り立ちからこの本は始まります。 そして、どのように広告事業を進めて行ったのか、 全く異なる2つの企業を比較することで書き進めています。 しかし、広告が消費者の行動を作り出したのではなく、 消費者の行動の変化が広告を変えていったようです。 以前、広告を打てば商品が売れるという時代がありました。 この時代には消費者は迷うことなく示されるものをどんどんと買う時代でした。 大量消費の時代が過ぎ、市場が寡占となったバブル崩壊後、 消費者は「選択」の行動に出ました。 (もちろん、消費者だけではなく、動きの少なかった広告代理店も選択にさらされる時代です) その結果、広告は所謂「誇大広告」で消費者を引きつけるのではなく、 現実味を帯びた、「ありそうな」広告を打つようになったのです。 その一方で、一部のテレビドラマでは、 「なさそうな」非現実的な話を展開しています。 このように、一見すると「賢い」消費者になったとも思えますが、 実際は広告が作り出す「幻想」の中で生活しているのが実態です。 「この商品は自分の意志で選択した」と頭では考えていても、 無意識に広告が作り出す「自分の意志による選択」を反映しているだけです。 話は少し飛んで、就活は上手くいったが「就職」には失敗した、 という話はよく聞くところです。 情報サイトや企業が打つイメージに左右されてしまった結果です。 「自分のやりたいことはこの仕事である」と、 一見自律して判断を行ったように見えますが、 実は、周りを取り巻く「幻想」をもとに判断しただけです。 僕自身、何となくこの「幻想」には気づいていました。 そして、「自分のやりたいこと」を自律して追い求めてきたつもりでした。 でも、実際に活字として示されると、ちょっとショックですね。 ・「幻想」を無視して自分の判断を頼りにする のか、 ・「幻想」を考慮に入れて、判断をする のか。

気づけば新年改まって1ヶ月

みなさんいかがお過ごしでしょうか。 @fegtaです。 年が明けて、いろいろと思うところもあったので、 まとめて書き残しておきます。 ◆去年から話題の就職活動について◆ 世間では、2011年卒の内定率が7割を切っているということで、大変な騒ぎです。この数字については 異論 もあるようですので、一概に正しいとは言えませんが、定点的に調査を進めてきたなかで、低い水準であることは間違いなさそうです。 最近日経新聞を取り始めたのですが、連日就職活動関係の記事が必ず掲載されています。企業の同友会が「説明会は12月以降」「いやいや、3年生が終了した時点から」など、議論を呼ぶ意思表示も数多く出てきています。 個人的には、「説明会を○○から」としても、結局はインターンシップが説明会のようになるのではないか、「採用とは関係ありません」とは明示してあっても、本当にそうなのかと疑いたくなるときもあります。では、具体的にどんな策が有効であるのか、と聞かれてもすぐには答えられないのですが、もっと「人」に重視する選考を行えば、現在の過激な就職活動も少しは収まるのではないでしょうか。 企業活動だって、「人」と「人」のご縁だと思います。就職活動もご縁。ご縁がなければ、いくら自分が行きたい企業であってもいけません。 今の就職活動が、早期化・過激化している理由の一つが、インターネットによる情報過多があると思います。様々な情報にアクセスし、一昔前では考えられない様な数の企業にエントリーできるようになってしまった状態では、ご縁なんて形骸化してしまいます。本来であれば、企業の「人」に会って、自分と言う「人」とどうやって関わることができるか考えるのが、自然なんじゃないでしょうか。 と、書いてはみましたが、自分の就職活動観を正当化していると言ってしまえばそれまでです。しかし、これまで人に直接会ってネットワークを広げてきた自分としては、「人」と「人」のつながりを重視して、職を見つけて行きたいかなと思います。 ◆ご縁と来たので恋愛について◆ べ、べつに恋してる訳じゃないからねっ! なんて、ツンデレっぷりを連発する今日この頃。いや、恋愛してないですよ。 就職のことを考えると、自然にその先の将来について考えが及びます。自分はどんな場所で、どんな家を構えて、どんな過程を持ってるんだろう。。。妄想は膨らみます。そして、「職